求道12  2014年6月26日

「人生の並木路」の歌声が、月天子の微笑む晩秋の夜空に流れていった。
野崎裕美は、歌いながら、自分は一人じゃないんだ!と感じ、心強さを覚えた。そして、山本伸一という若き闘将と共に、広宣流布に生きる喜びが胸に込み上げ、思わず目頭が熱くなった。
母の胃潰瘍や、仕事と学会活動の両立などで、押しつぶされそうになっていた自分の心が、蘇っていくような気がした。
苦闘は続いた。しかし、野崎は負けなかった。
伸一をはじめ、皆で歌った「人生の並木路」を思い起こし、口ずさみながら活動に励み、女子部のリーダーへと成長していった。
女子部の部長をしていた一九六一年(昭和三十六年)、東北女子部総会の開催が決まった。
彼女は、この時、全女子部員の数だけは、結集しようと決意した。
懸命に唱題に励むとともに、何カ月も前から、毎朝、出勤前に部員宅を訪問し、総会の意義と女子部の使命を真剣に語っていった。
広宣流布の活動のなかで、ひとたび決めた目標は、何があっても必ず達成する!
それが、彼女の信条であった。
また、一人ひとりを、最愛の妹と思って接していくように努めた。自分も、「人生の並木路」を歌って励ましてくれた伸一の心を、心として生きようと、決めていたのだ。
だから、家庭訪問の折には、それぞれの悩みに耳を傾け、「この活動に挑み勝って、悩みを克服しましょう」と訴えた。
信心の勝利は、必ずや人生の勝利となるからだ。
そして東北女子部総会では、未入会の友を含め、全女子部員数を上回る結集を成し遂げた。
場内だけでは参加者を収容することができず、終了後には場外でも指導会がもたれた。
女子部時代に培った、この勝利への執念が、彼女を強くし、何があっても負けない心を磨き上げていった。
祈りの力と粘り強い行動があれば、絶対に事態は開けるとの確信も得た。
それが、彼女の信心の素地と幸福の骨格を、形づくっていったといってよい。