求道31  2014年7月19日

戸田城聖は、山本伸一の目を見すえ、熱のこもった口調で語った。
「戦後の青年は、次第に、忍耐力が乏しくなりつつある。その傾向は、これから、ますます強くなるだろう。
どんな世界にあっても、大成のためには、修行という『忍耐』の歳月が不可欠だ。
その間は、辛いこと、悔しいこと、苦しいこと、悲しいことの繰り返しといってよい。
しかし、それを乗り越えてこそ、時がくれば、花も咲き、たわわに果実が実る。途中で投げ出してしまえば、どんなに才能があっても、結局は何も実らずに終わってしまう。
昔から、『石の上にも三年』といわれる。冷たい石でも、三年続けて座れば温まる─
─この粘り強さがなければ、本物には育たぬ。
社会では、優秀な青年が、堪え性がないために、ちょっと大変なことにぶつかると、すぐに投げ出してしまうケースがよくある。
私は残念でならんのだよ。だからこそ学会の青年たちには、何事からも決して逃げずに、忍耐力を磨き抜いていってほしいのだ。
伸一。人材を育てようよ。この東北に最強の人材城を築くんだ。いや、必ずできる。
忍耐強さは、東北人の特質だからな」
その師弟の語らいから、二十四年の歳月が過ぎていた。
一九七八年(昭和五十三年)五月二十八日、山本伸一は、伊達政宗の騎馬像が立つ、夜の青葉城址を散策した。
仙台の街の灯が、無数の宝石となって煌めき、夜風が肌に心地よかった。
伸一の耳朶には、「学会は、人材をもって城となす」との恩師の言葉が響いていた。
仙台にも東北にも、数多の人材が乱舞し、創価城は、堂々たる威容を現しつつある。
だが、御書に照らして、広宣流布の前途には、想像を絶する障魔との大攻防戦が待ち受けていることは明らかであった。
彼は、夜景を見ながら、深く心に誓った。
何があろうが、民衆を守るために、微動だにせぬ創価城を築き上げねばならない