求道34  2014年7月23日

根本孝俊は、前年の一九七七年(昭和五十二年)三月十七日に永眠していた。
山本伸一は、その直前の三月十一日から十四日まで、福島・東北指導のために郡山の福島文化会館に滞在した。
彼が出発して三日後に、根本は心不全で息を引き取ったのである。
伸一は、滞在中、根本と忘れ得ぬ思い出を刻んでいた。
夜遅く、伸一が文化会館の館内を点検して回った時、掃除機をかける壮年がいた。
黙々と労作業に励む尊き姿に、伸一は、感動を覚えた。仏を見る思いがした。そして、合掌する気持ちで、背後から声をかけた。
「ありがとうございます。お疲れ様です」
メガネをかけた、その壮年が根本であった。彼は、この時、郡山会館の管理者とともに、福島文化会館の事務職員を兼務していた。
伸一が、「私も、お手伝いさせていただきます」と言うと、彼は、強い口調で答えた。
「いえ、とんでもないことです!」
誰も見ていなくとも、新しい会館を守り、大事にしていこうとする彼の心意気と行動が、伸一は、ありがたかった。
「そうおっしゃらずに、一緒にやりましょう。二人で、学会の法城を守りましょう」
伸一は、根本の使っていた掃除機を手にし、清掃を始めた。
彼は、「すみません。すみません」と言いながら、コードを持ち、あとに従った。清掃終了後、「最高の思い出です」と、口もとをほころばせた根本の嬉しそうな顔が、伸一の胸に焼きついて離れなかった。
郡山会館で伸一は、窓の外に目をやった。
そこには、十坪ほどの美しい日本庭園が造られ、一隅にサツキの花が咲き誇っていた。
「美事な庭園ですね」
根本の妻・スエの顔に微笑が浮かんだ。
「ありがとうございます。主人が、『先生をはじめ、会員の皆さんが会館に来られた時に、少しでも心を和ませていただきたい』と言って造りました。
庭造りは、通信教育で勉強しておりました」