求道38  2014年7月28日

札幌での幹部会をもって、十六日間にわたる山本伸一の北海道指導の幕が開いた。
彼は、この訪問では、これまでに足を運んだことのない地域も訪れ、陰で学会を支えてきた功労の同志を、草の根を分けるようにして探し、讃え励まそうと、心に決めていた。
妻の峯子もまた、その決意であった。
翌日の六月九日、伸一は、北海道文化会館で首脳幹部と協議を重ねると、午後には、厚田の戸田記念墓地公園に移動し、体当たりを思わせる激励を開始した。
各部の代表や各種グループ、役員らと、次々に記念のカメラに納まり、共に勤行し、懇談。食事の時間もすべてメンバーへの指導の時間となった。
広布に生きる同志のために、自分の時間を割くことは、仏に命を捧げることに通じる。
そして、十一日午後には、墓地公園内の戸田記念広場で開催された、北海道青年部の第六回総会に出席した。
緑の風が吹き渡るなか、集った六千人の青年男女は、瞳を輝かせて開会を待っていた。
午後零時十分、ファンファーレが高らかに鳴り響き、開会が告げられた。
開会の辞、北海道女子部長・男子部長らのあいさつのあと、伸一の指導となった。
北海道は、彼が夏季地方指導や夕張炭労事件など、広布開拓と会員の厳護に心血を注いで走り抜いてきた魂の天地である。
また、先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖を育んだ揺籃の地であり、師弟の三代城である。
その北海道の、しかも恩師の故郷・厚田村に、後継の精鋭六千人が集って来たことを思うと、伸一は、熱い感動を覚えた。
そして、戸田と初めて出会った約三十年前のことを、懐かしく思い起こしながら、語り始めた。
「私は、十九歳の時に、恩師・戸田先生とお会いして以来、早くも三十年余が過ぎました。
その間、先生から受けた薫陶を最高の誉れとして、先生とお約束したことは、ことごとく果たし抜いてきたつもりであります」
師の構想実現を誓うだけでは弟子たり得ない。誓いの成就こそ、真の弟子の証明となる。