求道55  2014年8月18日

第十九回男子部総会で大きな感動を呼んだ杉高優の体験談をもとに、学会本部では映画を製作した。タイトルは「開拓者」である。
作品を観賞した山本伸一は言った。
「別海から、こうしたすばらしい体験が生まれる背景には、皆を励まし、指導してきた「信心の開拓者」が、必ずいるはずだ」
伸一の眼は、陰で黙々と友を支えるリーダーに向けられていた。その「信心の開拓者」こそ菅山勝司であった。
伸一は、万感の思いを込めて、試練の道を開き進んできた菅山の敢闘を讃える一文を、書籍に記して贈った。
伸一の励ましに、菅山は泣いた。
「?こんな俺のことまで、気にかけてくださり、賞讃し、励ましてくださる! 
先生にお応えしたい。地域に、もっと信心の実証を示したい。地域にあって模範となるような、充実した酪農経営をしよう」
そう決意はしたが、諸設備を充実させる資金は、いたって乏しかった。借金をすれば、自分の首を絞めることになる。
離農者の多くは、過剰投資による借金苦が原因であった。
彼は、少ない自己資金を最大限に活用するために、牛舎も、サイロも、すべて自分の手で造ることにした。
祖父が植林していた原木の伐採から始め、製材や加工、建築などを独力で学びながら、作業を開始した。
周囲の人びとは、奇異な目で菅山を見ていた。
大気も凍る厳寒の原野を、友の激励のために、バイクで駆け巡ってきた菅山には、その建設作業が苦労とは感じられなかった。
真実の信仰をもって、生命の鍛錬を重ねた人は、人生の、また、社会の、あらゆる局面で、驚くほど大きな力を発揮していく。
「人生は強さにおける、また強さを求めての訓練である」(注)とは、北海道で青春を過ごした新渡戸稲造の信念の言葉である。
建設の槌音が小気味よいリズムを奏で、希望の鼓動となって、別海の天地に響いた。