求道56  2014年8月19日

菅山勝司は、牛舎に次いで、サイロ、二階建てのブロック造りの住居を完成させた。
農機具も中古を購入し、自分で修理をしながら使った。
飼料も自給に努め、牧草を研究し、栄養価の高い草を育てた。
見事な黒字経営となった。人びとの奇異の目は、感嘆と敬意の目へと変わった。
開墾も進め、六十ヘクタールの牧草地をもつようになり、当初、数頭にすぎなかった牛が、搾乳牛五十頭、育成牛二十頭にまでになった。
牛乳の衛生管理にも努力を重ね、優秀賞も受けるにいたったのである。
別海の北海道研修道場で、山本伸一は、菅山に尋ねた。
「地域が広いから、活動も大変でしょう」
「走行距離は計算していませんが、オートバイ六台、車は五台を、乗りつぶしました。
別海の幹部は、皆、そのぐらい走っていると思います。メンバーと会うためでしたら、零下二○度ぐらいは、なんでもありません」
活動の帰りに吹雪になり、土管の中で一夜を過ごした人や、部員宅を訪問し、吹雪のために三日も帰れなかった人もいるという。
別海での活動は、大自然との闘いなのだ。
「私は、『人間革命の歌』の『吹雪に胸はり いざや征け』の一節が、大好きなんです」
菅山は、こう言って微笑んだ。
「まさに、その通りの実践だね」
それから伸一は、同行の幹部に語った。
「誰が広宣流布を進めてきたのか。誰が学会を支えてきたのか──彼らだよ。健気で、一途で、清らかな、菅山君たちのような「無名無冠の王者」であり、「庶民の女王」だ。
ある人は貧しく、ある人は病身で、辛く、厳しい環境のなかで、時に悔し涙を流し、時に慟哭しながら、御本尊を抱き締め、私と共に広宣流布に立ち上がってくださった。
自ら宿命の猛吹雪に敢然と挑みながら、友を励まし、弘教を重ねてこられた。その方々が、広宣流布の主役です。
末法出現の地涌の菩薩です。学会の最高の宝なんです」