求道58  2014年8月21日

懇談会には、経済苦と格闘している大ブロック長もいた。
彼の経営していた水産加工の工場は、前年、アメリカとソ連が自国の漁業専管水域を二百カイリとし、実施に踏み切ったことから大きな打撃を受
けた。
経営は不振となり、やむなく工場を畳み、山菜を採って塩漬けにしたものなどを販売し、生計を立てていた。
子どもは六人で、息子二人が創価大学に在学しており、末の娘は、まだ小学校の三年であった。
彼は、「この子も、やがて創価の学舎で学ばせたい」と、歯を食いしばり、奮闘していたのである。 
山本伸一は、大ブロック長に語った。
「ここから、子どもさんを創価大学に送り出してくださったんですね。ありがとう。
親御さんのその真心は、必ずお子さんに通じます。皆、立派に育ちますよ。
苦労したご一家から、偉大な民衆の指導者が出るんです。
息子さんとは、遠く離れていても、お題目を送ってあげれば、生命はつながります。
また、商売は、工夫・研究しながら、地道に頑張っていくことです。
どうにかなるだろうなどと、甘く考えてはいけません。
信用と信頼を、着実に勝ち得ていくことが大事です」
皆が過酷な状況のなかで、懸命に信心に励み、勝利の実証を勝ち取る。
その積み重ねが難攻不落の創価の大城を築いてきたのだ。
伸一は、なんとしても、この一家を応援したかった。
個人的に、一斗缶に入った山菜の塩漬け二十缶を購入した。
「製品ができた時に、少しずつ送ってくだされば結構です。急ぐ必要はありません。
ともかく、何があっても、絶対に、信心の道を見失ってはなりませんよ」
「一人の人が、この一家が立ち上がれば、標津まで来た意味はある」
伸一は、真剣勝負の激励を続けた。学会員が営む喫茶店にも足を運び、対話を重ねた。
彼の背筋に悪寒が走った。体が震えた。
この日、研修道場に戻って体温を測ると、三八度五分であった。