求道62  2014年8月26日

勤行会を終えた山本伸一は、直ちに車で北海道研修道場を出発した。
札幌に戻るため、再び百四十キロの道のりを、釧路空港へと走った。
海岸沿いの国道に出ると、北方四島の一つである国後島が見えた。
沖縄本島よりも大きな島で、標津から二十四キロほどの距離にある。
伸一は、島影を見つめながら、日ソの平和条約の締結と領土問題の解決のため、一民間人として尽力していこうと決意しつつ、心で唱題した。
海岸沿いを北上した車は、標津町で左折し、国道二七二号線に入った。
道の左右には、広々とした牧草地帯が続いていた。
車は、緩やかなアップダウンを繰り返しながら、緑の大地を貫く国道を快走していった。
釧路に行くには、中標津町を抜け、再び、別海町に入ることになる。
伸一たちは、往路に立ち寄った西春別の個人会館を再び訪問することにしていた。
近隣の会員たちが集まると聞いたからだ。
車が、西春別に隣接する上春別へ入った時、同乗していた田原薫が言った。
「この国道沿いに、雑貨店とドライブインを営む、谷沢徳敬さんという壮年とお母さんがおります。
雑貨店の二階を、会場に提供してくださっています。
母親の千秋さんは、七十代後半ですが、大変にお元気で、ドライブインの方を、すべて切り盛りされているんです。
草創期から、地道に地域広布の開拓に取り組まれてきた、強い求道心をおもちの方です。
このお母さんは、『山本先生をわが家にお呼びしたい。
それが私の夢です』と言われ、ずっと祈ってこられたそうです」
伸一の胸に、感謝の思いがあふれた。
「ありがたいことです。御礼のごあいさつに伺いましょう。申し訳ないもの……」
誠実は、即行動となって表れる。
どんなに疲れていようが、機会を逃さず、全力で友を励ます──彼の、そのひたぶるな生き方が、創価の絆をつくり上げてきたのだ。