求道63  2014年8月27日

谷沢千秋の子息・徳敬は、四十代半ばの壮年であった。
初夏の太陽が照りつける国道を見ながら、ワイシャツ姿で雑貨店の店番をしていた。
すると、乗用車が止まった。一人の男性が息を弾ませて駆けてきた。
顔見知りの北海道長の高野孝作であった。
「谷沢さん! 山本先生が来られたよ」
徳敬は、高野の言っていることの意味が、のみ込めなかった。
「はあ?」と、聞き返した時、山本伸一の「おじゃましますよ」と言う声がした。
「よ、ようこそ、おいでくださいました」
口ごもりながら、彼は答えた。
「徳敬さんですね。いつも、お世話になっています。お母さんの千秋さんは、いらっしゃいますか」
「それが、この先の個人会館に行っております。あそこで、山本先生をお迎えするのだと言って、喜んで出ていきました」
「そうですか。では、このあとで、お会いできますね。
ところで、お仕事は順調ですか」
「……頑張っております」
徳敬は、母の千秋と共に、この雑貨店とドライブインを経営していたが、どこか、力を注ぎ切れぬものがあった。
もともと彼は、雑貨店を継ぐつもりなど全くなかった。
獣医を志し、十勝にある農業高校の畜産科に学んでいたが、胸膜炎にかかってしまった。
進路の変更を余儀なくされ、教員の免許を取り、小学校の教壇に立った。
だが、雑貨店を営む父が腎臓病で倒れた。不本意ながら、自分が店を継ぐしかなかった。
獣医への夢が破れた悔しさと悲哀を、夜ごと酒で紛らせた。
アルコール依存症になり、入退院を繰り返した。
経済的な困窮はなくとも、精神が満たされなければ、魂は飢餓にさいなまれる。
心を豊かに、強くするなかに、人生の幸福はある。
そのころ彼は、帯広にいた兄の勧めで、藁にもすがる思いで入会した。
父も、母も、続いて信心を始めた。一九六〇年(昭和三十五年)のことであった。