【第57回】 一人から平和の大潮流を (2014.8.6)

民衆の声を力に
 絶対に平和であらねばならない。
 戦争だけはしない、させないということを、人類の共通の理念にしていくべきである。
 ラテン語の格言には「平和を願うならば、戦争の準備をせよ」とあった。
 しかし、断じてそうではない。「平和を願うならば、平和の準備をせよ」である。
 「平和の準備」とは何か。それは、平和を願う民衆の声を結集していくことだ。なかんずく、青年の大情熱の声こそが力だ。
 日蓮大聖人は、「輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり」(御書733㌻)と仰せである。
 「声」こそ「輪宝(車輪をかたどった宝器)」である。この「非暴力の武器」「文化の武器」を使って、我らは21世紀を「平和の世紀」「生命尊厳の世紀」としていくのだ。
鍵は全て人間にあり
 平和を壊すのも人間、平和を創るのも人間である。解決の鍵は、全て人間にある。
 ゆえに、我らは人間の「内なる悪」と戦い、仏という極善の生命を開発する道を選ぶ。この人間革命の道が即、平和の道であるからだ。
 平和は違い彼方にあるものではない。
 自分が今いる場所で、友と会い、誠実に対話を重ねる。どこまでも、一人を大切にする。そこから、平和の大潮流は生まれるのだ。
 特に、聡明な女性たちの草の根の語らいこそ、その最も確かな原動力である。
自他共の喜びの青春
 御本仏は、「すべての衆生が受ける、それぞれ異なる苦しみは、ことごとく日蓮一人の苦しみである」(同758㌻、通解)と仰せになられた。
 なんという大慈大悲であろうか。仏法とは、究極の「慈悲」の法である。御本尊に祈り、勇気をもって広宣流布に励むなかで、人を深く思いやる境涯を開くことができる。
 人の不幸の上に、自分の幸福を築かない。自他共に喜びあふれる青春を進みゆくのだ。
 生命尊厳の哲理を持《たも》つ青年よ、悩める友へ、苦しむ友へ、励ましと希望の光を送ろう! 君たちの友情で、平和の地球を輝かせるのだ。