【第7回】 インド独立の父 ガンジー  (2014.10.1)

朗らかに勇気の一歩を
 スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋……みんなは、どんな充実の秋を過ごしているかな?
 気温が下がってくるので、かぜには十分、気をつけてね。
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 「10月2日」という日は、私と世界の友をつなぐ記念日です。
 私は、1960年のこの日に、「この世から、一切の不幸と悲しみをなくしたい」と願われた師匠・戸田城聖先生の世界平和の夢を実現するため、初めて海外に旅立ちました。上着の内ポケットには、戸田先生のお写真を入れていました。
 それから54年──私は、世界をかけめぐり、対話と友情の道を開いてきました(世界54カ国・地域を訪問)。
 この10月2日は、一人の偉大な平和の指導者の誕生日でもあります。1869年に生まれたインドの「独立の父」マハトマ・ガンジーです。今も、12億人の国民から尊敬され、世界のお手本になっています。
 それは、ガンジーが、平和を築き、民衆を守るために、一切の暴力を使わず、戦ったからです。相手に暴力を使われても、仕返しをせず、対話と誠実な行動をつらぬいて、インドの独立(1947年)を勝ち取ったからです。
 これを、少しむずかしい言葉ですが、「非暴力」といいます。
 私はインドを訪れた時、ガンジーがなくなった、首都ニューデリーにたつ記念碑に花をささげ、記念館で講演も行いました。また、ガンジーの弟子やお孫さんたちと出会いを重ね、非暴力の精神を語り合ってきました。
 暴力は、強そうに見えて、じつは、おくびょうな人が使う武器です。相手がこわいから使うのです。暴力は、暴力を呼んでしまう。そうして、暴力はくり返され、どちらも深く傷ついてしまいます。国と国の間なら、ざんこくな戦争が続きます。
 平和を築くのは、対話と誠実な行動です。それには、まず自分のこわがる心を打ちやぶる勇気が必要です。自分の心が変われば、相手の心が変わる。非暴力は勇気ある人の武器なのです。
 この大切な勇気の心を学んでほしいと思い、30年ほど前、私は創価学園の生徒たちとともに、映画「ガンジー」を鑑賞したことがあります。きょうは、いっしょに映画を見ているような気持ちで学んでいきましょう。
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 最高の 勇気の人 ガンジーは、いったい、どんな少年時代だったでしょうか。じつは意外なことに、とても、はずかしがり屋で、弱虫でした。
 学校が終わると、友だちにからかわれるのが心配で、走って家に帰りました。寝る時も、おばけやドロボウやヘビがこわくて、明かりがなければ寝つけませんでした。けれども、まじめなお母さんの教えがあり、決めたことをやりぬく、がんばり屋でした。
 そのガンジーが、大きな勇気の一歩をふみ出した事件があります。
 それは、努力して弁護士になった若きガンジーが、仕事で南アフリカに行った時のことです。列車の一等車(一番いい客室の号車)に乗っていると、駅員が来て、「君は貨物車に乗るのだ」と言いました。同じ客室にいた白人が、茶色い肌のインド人といっしょに乗りたくないと、駅員に文句を言ったのです。ガンジーは、ちゃんと一等車のきっぷを持っていたにもかかわらず、貨物車に移らなかったために、列車から降ろされてしまいました。
 人種差別といって、この国では当時、肌の色で人間に上下があると決められていたのです。
 季節は冬でした。ガンジーは暗く冷え切った駅の待合室で、寒さにふるえながら一夜を明かしました。
 このあと、どうするか。がまんしたまま仕事をすませ、ふるさとに帰る道もあったでしょう。
 しかし、ガンジーは、自分のことだけでなく、人間が人間をバカにして、いじめること自体がゆるせませんでした。ガンジー青年は 勇気の人 に生まれ変わりました。この国に21年間とどまって、差別に対して非暴力で戦い抜きました。そして、ついに、この国に住むインドの人々を守る法律を勝ち取ったのです。
 勇気は、青年を強くします。
 とくに人のため、正義のため、勇気をもって立ち上がる時、青年は最も強くなるのです。
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 その後、ガンジーはインドにもどり、悪には従わず、非暴力で戦う独立運動のリーダーとなります。
 当時のインドは、強力な軍隊をもつイギリスに占領されていました。きびしい差別があり、イギリス人が上で、インド人は下でした。
 この不正をただすために、彼は戦いを開始しました。悲しい出来事や失敗もありました。何度もたいほされて牢屋に入れられましたが、信念をつらぬきとおしました。どこに行くにも腰布にサンダルばきの姿で、まずしく、一番差別に苦しんでいる人々の味方となって行動したのです。
 勇気は、人から人へ伝わっていきます。その有名な出来事が「塩の行進」と呼ばれるものです。
 この時代、インド人は、生活に欠かせない塩を自由につくったり、売ったりすることが禁止されていました。
 ガンジーは、さけびました──人は塩がなくては生きられない。この海からの贈り物を取りあげる権利が、だれにあるのか!
 1930年3月12日の朝、ガンジーはイギリス政府に反対するため、78人の弟子とともに約400キロはなれたインドの西海岸へと歩き始めました。浜辺に行き、自分の手で塩をつくるというのです。60歳のガンジーが、しっかりした足取りで進んでいく姿を見て、多くの人が次々に加わり、やがて数千人の大行進となりました。
 海岸に着いたガンジーは天然の塩をひろい、これはわれわれのものだと、ほこらしげにかかげました。ガンジーも弟子たちも、たいほされましたが、ひるみませんでした。ぼうでなぐられたり、けられても、決して暴力に負けませんでした。このガンジーとともに、何万もの人々が牢屋に入れられました。それでも、民衆の大闘争は止まりませんでした。
 同じく1930年の11月18日、創価学会牧口常三郎先生、戸田先生の師弟によって創立され、だれもが幸せになれる社会を目指して、平和への歩みを開始したのです。
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 勇気の人は、朗らかな人です。ガンジーは、よく笑ったので、まわりもいっしょにいるだけで楽しくなり、勇気がわきました。
 勇気の人は、あきらめません。ガンジーは「善いことというものは、カタツムリの速度で動く」と言ってねばり強くがんばりました。
 勇気の人は、先頭に立つ人です。ガンジーは「一人の人に可能なことは、万人に可能である」と信じ、大変なことは自分から始めました。
 みなさんも、勇気を出したい時があるでしょう。はずかしくて声をかけられないけど、友だちになりたい。授業中に手をあげて、答えたい。いじめられている友だちに、自分は味方だと伝えたい……。
 もしかしたら、「自分には勇気がない」と思っている人がいるかもしれません。でも、勇気がない人なんていません。だれもがみんな、勇気の心をもっている。問題は、思い切って、その勇気を引き出せるかどうかなのです。
 だれにでもできる、勇気を引き出す合言葉が「南無妙法蓮華経」です。
 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し」(御書1124㌻)です。題目を唱えれば、自分の心の中にある「ししの心」が目覚める。すると、知恵も、希望も、勇気も全部、わいてきます。
 さあ、自分の夢や目標に向かって、勇気の一歩をふみ出そう!
 輝く未来からやってきた「平和の勇者」の君よ、貴女《あなた》よ!
 きょうもまた、強く朗らかであれ!
 ガンジーの言葉は、坂本徳松著 ガンジー インド独立の父』 (旺文社文庫)、『ガンジー自伝』 ?山芳郎訳(中公文庫)から。参考文献は、マイケル・ニコルソン著 『伝記 世界を変えた人々9 ガンジー』坂崎麻子訳(偕成社)、クリシュナ・クリパラーニ著 『ガンディーの生涯〈上〉』 森本達雄訳(レグルス文庫)。