小説「新・人間革命」広宣譜7 2014年 11月25日

牧口初代会長、戸田第二代会長は一人立つことによって、現代における広宣流布の新たな流れを開いた。
その事実のうえから、山本伸一は、「諸法実相抄」講義で、慈折広布を実現させゆく師子の精神を訴えたのである。
ところが宗門は、その文言をもって、あえて、学会では日蓮大聖人と初代、二代の会長を同一視しているとして、極めて歪んだ見方の質問をよこしたのである。
また、伸一が、戸田は獄中にあって、唱題のなかで、「法華経を色読され、地涌の菩薩の棟梁としての開悟をされた」と語ったことについても、こう尋ねてきた。
地涌の菩薩の棟梁とはいうまでもなく上行菩薩であります。すると戸田前会長は上行菩薩として自身を開悟しその行を行じたのですか。そうなると大聖人は必要ないことになりますね」
伸一が、戸田を、「地涌の菩薩の棟梁」と述べたのは、「在家における折伏弘教のうえの指導者」という意味からであった。
また、戸田自身が、自らを「地涌の菩薩の棟梁」と言っている。戸田は、その自覚に立って、戦後、広宣流布にただ一人立ち、会員七十五万世帯の弘教の指揮を執ったのである。
この戸田の戦いについて、法主の堀米日淳は、「その方々を会長先生が末法に先達になって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。
即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」(注)と賞讃している。ここに述べられた「その方々」とは、六万恒河沙の大士即ち地涌の菩薩のことである。
伸一は、それも踏まえ、戸田が戦後日本の混乱した時代にあって、会員七十五万世帯達成という未曾有の正法流布の指揮を執った事実のうえから、「地涌の菩薩の棟梁」と述べたのである。
現代にあって、さまざまな法難に遭い、不惜身命の覚悟で広布を進めている人こそが「地涌の菩薩」であり、その指導者は「棟梁」ではないのか! そうでなければ、どこに、「地涌の菩薩」の出現があるのか!