【第15回】 「人間革命」執筆50年 2014-12-2

 朗らかに綴れ偉大な民衆の勝利劇
   平和と幸福の勝利は今ここから!
 
  朗らかに
  人間革命
  わが劇を
  凱歌で飾れや
  勇気の宝友(とも)と
 
  人間革命の舞台は、どこか遠くにあるのではない。「今ここ」にある。
そのドラマは、いつか始まるのではない。眼前の課題に、勇んで祈り、立ち向かう。この一瞬から幕を開けるのだ。
  真剣勝負の戦いの中にこそ、人間革命がある。
 師走(しあす)を迎え、寒さが厳しくなり、忙しさも増す。その中で、地域のため、社会のため、未来のため、懸命に奔走されゆくわが宝友(とも)に、誇り高き人間革命の勝利劇あれ! と、私は祈る日々である。
 
  師・戸田城聖先生は、偉大な文学には、偉大な人間革命の物語が描かれているといわれた。その代表として、青年に読まれたのが、『モンテ・クリスト伯』と『レ・ミゼラブル』である。
 アレクサンドル・デュマ作『モンテ・クリスト伯』の主人公エドモン・ダンテスは、冤罪(えんざい)に陥(おとしい)れられ、孤島(ことう)の岩窟(がんくつ)の牢獄(ろごく)に14年間も囚(とら)われた。
 そこで信念の哲人から薫陶(くんとう)を受け、鋼鉄の知性の闘士へと成長を遂げる。やがて善良な恩人一家への恩返しとともに、邪知(じゃち)の悪党への仇討(あだうち)を果たし、劇的に運命を転じゆくのだ。
 
  戸田先生は、この巌窟王(がんくつおう)の如く、非道な軍部政府の弾圧によって獄死した先師・牧口先生の仇討(あだうち)、すなわち広宣流布という平和の民衆運動を断行してみせると叫ばれたのである。
 ビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』でも、悲劇の主人公ジャン・バルジャンが、魂の師との出会いによって、絶望の淵(ふち)から蘇生(そせい)する。そして、波乱万丈(はらんばんじょう)の試練を乗り越え、大海原よりも、大空よりも大きい、人間の心の荘厳な力を示し切っていくのである。
 私の胸には、戸田先生の声が轟(とどろ)いている。
 「大作、君はユゴーとなって書きまくれ!」と。
 それは、健気(けなげ)な庶民のために尽くす民衆詩人たれ、正義を踏(ふ)みにじる邪悪(じゃあく)に対し、断固と鉄槌(てっつい)を下す大言論人たれとの叱咤(しった)であった。
 恩師との誓いを胸に、私は、いつ何時でも、ペンを執り続けてきた。
 そして今、読者の皆様方の温かいご支援ありてこそ、小説『新・人間革命』第28巻の連載をスタートできた。
  明12月2日は、愛する沖縄の地で、「立正安国」即「世界平和」の実現に向け、小説『人間革命』を書き始めてから満50年を迎える。
 私は、創価の偉大なる正義の民衆叙事詩(みんしゅうじょうじし)を、いよいよ心新たに綴(つづ)りゆく決心である。
 
言論戦で勝機を
 思えば、『モンテ・クリスト伯』も新聞小説であった。新聞連載は、常に締め切りに追われる。
 私も、日本全国、また世界各地を飛び回る中での渾身(こんしん)の執筆(しゅっぴつ)が、幾重(いくえ)にも思い出深く蘇(よみがえ)る。
 現在の「広宣譜」の章で描いている昭和53年(1978年)の夏といえば、しばしの休戦を経た後、『人間革命』第10巻の「展望」章に取り組んだ時期であった。
  「展望」の章は、昭和31年(1956年)の大阪の戦いを勝利で飾った瞬間から始まる。
 不可能を覆(くつがえ)した大阪の逆転勝利劇である。そのまさかを関西の友と実現し、私が直ちに向かったのは、戸田先生のもとであった。広宣流布の師匠に、勝報(しょうほう)を届ける。これに勝る喜びはない。
 この「展望」の章を書き起こした天地は、創価の三代城・北海道であった。厚田で育ち、夕張(ゆうばり)の地で教壇に立たれた恩師。私は心の中で、広宣流布の遠大な展望を戸田先生に伺(うかが)いながら、対話する思いで筆を進めた。
 その北海道訪問では、16日間に及ぶ激励行で約2万人の友と、忘れ得ぬ金の思い出を刻んだことも懐かしい。
 
 第10巻は「展望」の章で終了し、次の連載が始まるまで、2年かかった。この間に、私は、名誉会長となった。
  昭和55年(1980年)の夏、私は神奈川で、今、書かねば悔いを残すと、第11巻の連載開始を宣言した。
 正義を叫ぶ時も、悪を呵責(かしゃく)する時も、機会を逸(いっ)してはならぬ。勇気を持て! 時期を逃すな! これが言論戦の鉄則である。
 その第1章「転機」に綴(つづ)ったのは、山口開拓指導である。人材の中国も、私の手作りだ。
 
試練を跳躍台に
  「全ての危機は想像する人間にとっては運命の贈り物である」とは、オーストリアの作家ツバイクの言葉である。
  人生にも、広宣流布の攻防戦にも、重大な試練(しれん)の時がある。
 その時に臆(おく)してはならない。怯(ひる)んでもならない。今こそ踏ん張り時だと、粘り抜け! ここが勝負と挑みかかれ!? 試練は、必ず新たな大躍進への跳躍台(ちょうやくだい)となるのだ。
 
 御書に、囲碁(いご)でいう「四丁(しちょう)」を通して法華経の功力を説かれた一節がある(1046ページ)。
 急所に打つ一石の大切さから、一人の成仏の重大な意義を教えられたものである。
  かつて私は、関西の友に強く語った。
 ――361の目からなる碁盤上戦いと同じく、そこを抑えなければ一気に攻勢に転じていける急所がある、と。
 囲碁がお好きだった戸田先生は、この御書を拝し、「一人の人間革命と行動が、皆に連動し、全てを変革していくのだ」と教えてくださった。
 この通りの姿を、自らの使命の国土で堂々と示してきたのが、宿縁深き地涌(じゆ)の勇者たちである。
 創価の本陣・東京でも、福光の人材城・東北でも、広布の幾山河(いくさんが)を越えゆく関東でも、烈風に揺るがぬ堅塁(けんるい)・中部でも、友は懸命に戦った。
 師弟の誓願を刻む北陸・信越でも、紅燃ゆる志(こころざい)の四国でも、恩師がよろしく頼むと先駆を託した九州でも、同志は誠実一路で走っている。
 その尊き一人ひとりの人間革命の劇が、壮大な民衆勝利の大絵巻を織り成しているのだ。
 
「絶対の確信」で
 戸田先生は、悠然と語られた。
 人間革命とは、私たちが「人生の根幹の目的」を知り、「絶対の確信」に立つことである、と。
 大事なことは、いかなる宿命の嵐に遭(あ)おうとも、自らが「地涌の菩薩」であることを疑わないことだ。「広宣流布」を誓願して生まれてきたことを忘れないことだ。
 日蓮大聖人は、仏界の生命を顕現(けんげん)した境地について、「内よりは歓発(かんぱつ)し外寄りは引導(いんどう)し内外相応(ないげそうおう)し因縁和合(いんねんわごう)して自在神通(じざいじんつう)の慈悲の力を施(ほどこ)し広く衆生を利益すること滞(とどこお)り有る可からず」(御書574ページ)と教えられている。
  友の幸福を祈り、社会の繁栄を願い、世界の平和に尽くしゆかんとする我らの心は、必ず相手の生命に伝わる。
 その祈りと真心からの対話こそが友の命を変え、真の友情と理解を生むのである。
 ゆえに題目を勇気凛々(ゆうきりんりん)と唱え、わが生命に「自在神通の慈悲の力」を漲(みなぎ)らせていくのだ。そして自由闊達(かったつ)に、あの友、この友と語らって、「衆生を利益する」ことだ。
  ここにこそ、滾々(こんこん)と仏智(ぶっち)は湧(わ)き出で、無限に仏縁が広がるのである。
 
師子よ走れ
  人類の希望は、今、いずこにあるか。
 間違いなく、世界に広がりゆく192カ国・地域のSGIの連帯と前進こそ、全人類の希望の根源はある。?  それは、世界のあの地この地で、わが同志が「一人の人間における偉大な人間革命」の無限の可能性を、赫々(かっかく)と証明してくれているからだ。
 ユゴーは、盟友(めいゆう)のデュマに捧(ささ)げた追悼文(ついとうぶん)に、こう綴った。
  「戦いとは権利であり、勝利とは幸福である」と。
 創価の師弟の「発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)」に連(つら)なり、広宣流布の大誓願に立ち上がった我らは、まぎれもない「三世の盟友」である。
  久遠からの兄弟姉妹として、いよいよスクラムも固く、正義の戦いに勇み舞いゆこう!  自分は今日も勝ったという毎日を、確実に積み重ねていくのだ! そして共々に、広布と人生の常勝の年輪を、朗らかに、痛快(つうかい)に、晴れ晴れと刻み、本年の総仕上げを飾ろうではないか!
 
 恐れなく
    惑(まど)うことなき
      師子なれば?
    一瀉千里(いっしゃせんり)と
        勝利へ走れ