【第38回】 日々の「発迹顕本」を 2014-12-3

日蓮といゐし者は去年(こぞ)九月十二日子丑(ねうし)の時に頸(くび)はねられぬ、此れは魂魄(こんぱく)・佐土の国にいたりて返年(かえるとし)の二月・雪中(せっちゅう)にしるして有縁(うえん)の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず 
(開目抄 223ページ)
 
通解
 日蓮と名乗った者は、去年 (文永8年)9月12日の深夜、子丑の時に頸(くび)をはねられた。これは、その魂魄が佐渡の国に至って、年が改まって2月、雪深い中で記して、有縁の弟子に贈るのであるから、難は恐ろしいようであるが、法華経の行者にとっては、恐ろしいものではない。
 
同志への指針
  「発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)」とは、凡夫(ぼんぷ)の身に久遠の仏界の境地を顕(あらわ)すことである。仏法は「人間」が主役だ。戸田先生は「久遠の凡夫」とも言われた。ありのままの人間の生命に、いかなる大難をも乗り越える無限の力が具(その)わっている。
 1日1日、題目を朗々と唱え、わが胸中に「勇気の炎」を燃やし、何ものも恐れずに進む。ここに、我らの発迹顕本の道がある。