小説「新・人間革命」広宣譜24 2014年 12月15日
その「価値創造」の眼を開かせるものこそが、仏法である。仏法という視座に立って、すべての事象を深く見すえていくならば、そこには、幸福への原動力となる限りなく深い意味があり、汲めども尽きぬ豊かな精神の泉が広がっている。
たとえば、日蓮大聖人は、門下が供養した白米を、どうとらえられたか。
「民のほね(骨)をくだける白米」(御書一三九〇ページ)と仰せになっている。白米という物の背後に、米作りに励んだ人の過酷な労働、苦労、そして、何よりも真心を見て取り、最大の感謝を捧げられているのだ。
別の御書には、「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(同一五九七ページ)ともある。
人は食によって命を支えられており、大事な食である白米を供養するということは、命を捧げることに等しい功徳があると、その「志」を大賞讃されている。
また、大聖人は、一門に降りかかった大迫害に対しても、「大悪を(起)これば大善きたる」(同一三〇〇ページ)と断言される。
一国が既に大謗法であるということは、大正法が必ず弘まる瑞相であると言われているのだ。
さらに、御自身が大難を受けることについても、護法の功徳によって、過去の重罪を今生に招き寄せたと明かされている。
一つの事実から、仏法の法理に照らして無量の意味を見いだし、向上、前進の活力に転じていく。それが仏法者の生き方であり、人生の価値創造の道である。