小説「新・人間革命」広宣譜31 2014年 12月24日

関西総合長の十和田光一の要請を聞くと、山本伸一は語った。
「『金の城』の方が、斬新的だと思うんだが、『錦州城』とすることで、関西の皆さんが喜んでくださるなら、検討します。
私は、関西の同志が永遠に歌い継いでいける、最高の歌を贈りたいんです。
まだ推敲を重ねますが、歌詞の基本は変わらないので、早速、作曲が上手な人に曲を作ってもらうようにします。
歌の正式な発表は、七月十七日の『大阪の日』を記念して行う幹部会にしよう。これには、私も必ず出席します」
翌九日、神奈川県音楽祭に出席するために神奈川を訪れた伸一は、音楽祭の前に、これまでに学会歌などの作曲を手がけてきた青年に来てもらった。
そして彼に、「関西の歌」の歌詞を渡し、作曲を依頼した。
伸一は、その場で曲想を語り、実際に自ら口ずさんでみせた。
「こんな感じの曲にできないだろうか」
音楽祭終了後、出来上がった曲を聴いた。
晴れ晴れとした、力強い感じにはなっていたが、納得しかねる箇所もあった。
「大変だろうが、まだ工夫してください。私も考えてみます」
伸一は、翌日から、青年が作った曲を聴き、自分でも曲を練っていった。
十四日、創価大学での諸行事に出席していた彼は、行事の合間を縫い、作曲を担当する青年に、節をつけて歌ってみせるなどしてアドバイスを重ねた。
作曲を進めながら、難航したのは、「誓いの友と 春の曲」の箇所であった。
そこは、苦楽を分かち合った元初の友と幸の調べを奏でる「歓喜」を表現しなければならないところである。
青年が、メロディーの案を出しても、「ちょっと違うね。明るくしたいね!」と、伸一は首を縦に振らなかった。
労苦と挑戦あってこそ、新しき創造がある。苦闘は創造の母である。