【第9回】 音楽の大英雄 ベートーベン  (2014.12.1)

今年も、あと1カ月だね。
一番、いそがしい季節にも、社会のために一生けんめい行動されている、みなさんのお父さんや、お母さんに、私は最大の尊敬の心で、題目を送っています。
世の中が、あわただしい時期なので、みなさんも交通事故などに、くれぐれも気をつけてください。かぜも、ひかないようにね。
この季節になると、日本の各地で演奏される名曲があります。ドイツの音楽家ベートーベンが作曲した「交響曲第9番」です。多くの人から「第九」と呼ばれて、したしまれています。
曲ができて190年たった今でも、世界の人たちに愛されています。私も大好きな曲です。
この「第九」には、交響曲にはめずらしい、「歓喜の歌」という名前の合唱の部分があります。
今年、行われた創価青年大会で、九州の友は「歓喜の歌」を大合唱しました。みなさんの中にも歌った人がいるでしょう。
きょうは、いっしょに、音楽の大英雄ベートーベンの曲をあじわう気持ちで学んでいこう!
ベートーベンは、1770年の12月16日、ドイツのボンという町に生まれました。おじいさんは貴族が住む宮殿の楽団の楽長で、お父さんも楽団の歌手をしていた音楽一家でした。
すぐれた歌手でもあったおじいさんはベートーベンの誕生を、たいそう喜び、美しい声でよく歌を歌ってきかせたといいます。おじいさんのことを、ベートーベンは、とても誇りに思い、大人になっても忘れませんでした。
お父さんは、ベートーベンをおじいさんのような、りっぱな音楽家にしようと、ピアノやバイオリンを教えました。とてもきびしい練習で、朝から晩まで、来る日も来る日もピアノの前に向かわなければなりませんでした。
時には泣いてしまうくらい、たいへんでしたが、やさしくて大好きなお母さんがいたから、ベートーベンは安心でした。へこたれず、めきめきと上達していきます。
そして、7歳の時、演奏会に出演して初めて人前でピアノをひきました。人一倍の努力が実り、演奏会は大成功を収め、みんなから才能をみとめられるようになりました。
でも、いよいよこれから という16歳の時、お母さんは病気で亡くなってしまったのです。
この深い深い悲しみも、ベートーベンは、ぐっとこらえました。仕事がうまくいかないお父さんや2人の弟の生活を、支えないといけなかったからです。オルガン奏者やピアノ教師として、ただ一人、働き始めました。まさに、嵐に立ち向かう青春でした。
 
嵐の中の青春――。
それは、私の青春の日々でもありました。戦争が終わったばかりで、食べるものも満足にない時代のなか、病気に苦しみながら、師匠・戸田城聖先生の会社を立て直すために、けんめいに働いていました。
そんな私の楽しみは、レコードをきくことでした。とくに、ベートーベンの音楽は大好きでした。
「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」と始まる、ベートーベンの交響曲第5番「運命」を、初めてきいた時の感動は、今も忘れられません。アパートのせまい部屋が、あたかも宮殿になったような気持ちになりました。
音楽は、言葉以上に、それを作った人の心を伝えます。私はベートーベンの曲をきくたびに、「負けるな!」「がんばれ!」とはげまされているように思え、運命に挑む勇気をもらいました。それは、きっとベートーベン自身が苦しみや悩みと戦い、自分自身をふるい起こしていたからに、ちがいありません。
1792年11月、21歳のベートーベンは、音楽の都として有名なオーストリアのウィーンに行きました。そこで、さまざまな曲を発表し、ウィーンの音楽界でも有名になりました。
こうして、やっとうまくいくように見えた生活でしたが、30歳になるころから、耳の病気になってしまいました。医者にみてもらいましたが、どんどん耳が聞こえなくなっていきました。
――このまま聞こえなくなってしまったら、音楽家としてどうしたらいいのだろうか。
ベートーベンは、音楽家にとって「命」ともいうべき耳が聞こえなくなっていくことに、不安ときょうふでいっぱいでした。しかし、子どものころからひき続けてきたピアノの音や、そこから生まれてくる、いろいろなメロディーは忘れていませんでした。
ベートーベンは、音をうばわれた、とてつもない苦しみの底から、命をふるい立たせて、交響曲第3番「英雄」、第5番「運命」、第6番「田園」などの名曲を発表しました。
46歳で耳の病気が悪化し、その後、音がまったく聞こえなくなり、補聴器をつけても会話ができなくなりました。人と話す時は、言葉をメモ帳に書いてもらい、相手の言いたいことを理解しました。
こうした不自由な生活の中でも、ベートーベンの作曲の意欲は失われませんでした。むしろ病気が悪くなればなるほど挑戦を重ね、思いを曲にこめていったのです。
「自分はこれまでの仕事に満足していない。今から新しい道を歩む」と。
そして、53歳の時、「交響曲第9番」が完成します。この曲を初めて演奏する時、ベートーベンは指揮者として舞台に立ちました。
演奏が終わると、人々はあまりのすばらしさに、大きな拍手を送りました。しかし、ベートーベンには聞こえません。演奏者を見ていたベートーベンはうでをひかれて、後ろをふり向いた時、初めて観客の大拍手に気づいたのです。
大好きなお母さんとの別れ、きびしかったお父さんの教え、まずしい一家を一人で支えた孤独、聞こえなくなった耳……ベートーベンの一生は、悩みの連続でした。
しかし、どんなにつらい悩みがあってもベートーベンは、「上手になろう」「成長しよう」「いい曲を作ろう」という「向上する心」を失いませんでした。そして、生涯で300以上の曲を作りあげたのです。ベートーベンは、そうした気持ちをこめ、「悩みをつき抜けて歓喜にいたれ」と書き残しています。
成長しようとする人には、必ず苦しみや悩みの嵐が吹き荒れます。成長しているからこそ悩むのです。その時は、とてもつらいかもしれないけれど、悩みは自分自身が大きく成長している証明なのです。
悩みに負けず、勇気をふるい起こして、つき進んでいけば必ず大きく成長できる。運命だって変えられる。自分も家族も、大きな希望と喜びにつつまれていくのです。
戸田先生は、ある年の12月、悪戦苦闘する私に、「大ちゃん、人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて、信心もわかる、偉大な人になるのだ」と言われました。
ベートーベンは負けなかった。音楽の大英雄として勝ちました!
ししの子のみなさんも、悩みに負けるはずがない。断じて、自分の夢に向かって勝利していけると私は信じ、祈っています。
来年もまた、みなさんと語り合えることを楽しみにしています。
どうか元気で、よいお正月を!
 
※ ベートーベンの言葉は、 『新編ベートーヴェンの手紙(上)』 小松雄一郎編訳(岩波書店)、ロマン・ロラン著 『ベートーヴェンの生涯』 片山敏彦訳(岩波書店、一部表記を改めました)から。参考文献は、パム・ブラウン著 『伝記 世界の作曲家④ ベートーベン』 橘高弓枝訳(偕成社)、加藤純子著 『子どもの伝記⑤ ベートーベン』 (ポプラ社)。