【第10回】 物理学者 湯川秀樹博士 (2015.1.1)
みなさんの挑戦が平和の一歩に
私の大好きな少年少女部のみなさん、あけまして、おめでとう!
新しい朝日がのぼりました。
新しい一年のはじまりです。
私たちも、心に朝日をのぼらせ、新しいチャレンジをはじめよう!
私も毎年、年のはじめに、心も新たに決意することがあります。
それは、この一年、「世界平和」を一歩でも前進させることです。
私たちの最大の希望は、何か。それは、未来部の皆さんの成長です。
SGIができたのは、40年前、1975年のl月26日です。
私も毎年、この日に合わせて平和への提言を発表しています。
平和は、世界のだれもが求めているのに、戦争や争いの歴史がくりかえさ
れてきました。一人の力では、どうにもならないと、あきらめている人もいます。
また、おじいさんも、昔の中国の本などをよく勉強した人で、秀樹少年は、小さいころから、漢字ばかりの本を、声に出して読まされました。おかげで、小学校に入ると教科書をスラスラ読むことができました。習字も得意でした。
でも、体育や図工、作文は苦手でした。それに、はずかしがりやで、なかなか自分から友だちに話しかけることができず、はっきりと人に自分の意見を言えなかったのです。そのため、「イワン(言わん)ちゃん」と呼ばれたこともありました。
みなさんにも、苦手なことがあるでしょう。だからといって、自分のことを、“ダメだ”などと思う必要はないのです。
秀樹少年には、何かをはじめたら、とことんやり通す、「ねばり強さ」という長所がありました。そのため、一生けんめい、学校の勉強に打ちこみ、学ぶことが好きになっていったのです。
そうして高校に入り、大学に進み、「物理学」の研究に取り組んでいきます。いくら失敗しても、すぐに答えが見つからなくても、自分を信じて、「くじけるものか」と、挑戦を重ねました。
そして、ついに大きな発見をします。「原子」という、これ以上小さく割れないと、長い間、思われてきた小さなつぶの中に、「中間子」という、さらに小さなつぶがあるはずだと気づいて、世界ではじめて発表したのです。
博士は、兄弟で一番仲の良かった弟を兵隊にとられ、亡くされています。その悲しみは、私にもよくわかります。私もまた、大好きだった兄が、戦死しているからです。その知らせを聞いて悲しみに肩をふるわせていた母の後ろ姿が、私の平和運動の原点です。
博士は、戦争が終わって間もなく、「原子と人間」という詩を、未来を担う少年少女たちにおくりました。
そこには、“科学の進歩は、人類を幸福にするが、一方では尊い命をうばう兵器も生み出してしまう。科学が進歩すればするほど、人間はもっと進歩しなければいらない!”という思いがこめられています。そして、博士は「原始時代が到来した……人間同士の和解(仲直り)が大切だ 人間自身の向上が必要だ」と呼びかけました。
当時、私は師匠である戸田城聖先生の会社で、少年少女向けの雑誌の編集長をしていました。
雑誌では、科学の話を通して、みんなに夢や希望を広げようとしました。湯川博士のことも、ぜひ書きたかったのですが、雑誌がとちゅうで出せなくなってしまい、実現できませんでした。今こうして、みなさんに語ることができ、本当にうれしく思います。
戸田先生も“核兵器は絶対に許してはならない”とさけばれ、弟子の私も同じ思いで行動してきました。「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名し、後にノーベル平和賞を受けたポーリング博士、ロートブラット博士とも対談集をつくりました。
これからの時代の平和を築くのは、みなさん一人一人です。
みなさんが、新しいことに挑戦して大いに学んでいくこと、体をきたえてじょうぶにしていくこと、友だちと仲良く友情を結んでいくこと、そうした一歩また一歩が、やがて世界の平和につながっていきます。みなさんこそ、希望であり、未来そのものなのです。
「ひとりひとりが生命を大切にし、賢くあり、そして希望を失うことなく、それぞれの立場で努力していきましょう」と湯川博士は呼びかけています。
今年も、私は、いよいよの思いで、みなさんの健康と前進を祈り、みなさんに励ましをおくり続けていきます。
さあ、一年のはじまりです!
自分らしく挑戦をはじめよう!
私といっしょに!