小説「新・人間革命」広宣譜58 2015年1月29日

 
伯耆富士・大山の秀峰が陽光に映えていた。
一九七八年(昭和五十三年)七月二十二日午後零時半、鳥取県の米子文化会館で、七月度本部幹部会が晴れやかに開催された。
会場前方を華やかに彩った太陽の花・ひまわりが、希望と情熱の光彩を放っていた。
本州の日本海沿岸では、初の本部幹部会の開催とあって、集って来た鳥取の同志の顔は、誇らかであった。
この席上、中国の歌「地涌の讃歌」が発表されたのである。
 
 一、轟く歓喜の 中国に
   広布の船出も にぎやかに
   ああ紅に 友は燃え 友は燃え
   進み跳ばなん 手と手結びて
 
 二、この地愛さん 中国の
   幸の花咲く 友どちと
   笑顔も嬉しや 爛漫と 爛漫と
   指揮とる顔 光燦たれ  
 
 三、陽出ずる中国 人の城
   地涌の讃歌の 歌声も
   勝利の空へ こだません こだません
   ああ虹かかる 生命晴れたり  
 
 四、いざや中国 万年の
   甘露の雨に そそがれて
   この道確かと 走りゆけ 走りゆけ
   ここに広布の 歴史輝く
 
全参加者の歓喜の大合唱が響いた。
まさに同志の心は紅に燃え、顔は輝き、創価の大道を走りゆく決意がみなぎっていた。
山本伸一も歌った。
大きく手拍子を打ち、「この歌とともに、中国の同志が、はつらつと前進を開始してほしい。
幸せの花を咲かせてほしい。人生の勝利を飾ってほしい」と願いながら。
「平和・希望・確信・勇気に満ちた学会歌は『私の心の歌』です」(注)――後年、伸一と深い親交を結ぶブラジルの作曲家・ピアニストのアマラウ・ビエイラは語っている。
 
■引用資料
注 一九九六年五月三日の5・3「創価学会の日」記念式典でのビエイラ氏のあいさつ(「聖教新聞」同年五月四日付)