小説「新・人間革命」広宣譜57 2015年1月28日

松木会館では、この日の夜、住吉支部の座談会が行われることになっていた。仏間は、その準備のために来ていた人や、山本伸一の来訪を聞きつけて集って来た人たちで埋まっていった。
なかには、琴を持っている人もいた。座談会で演奏するのであろう。
伸一は、仏間に入ると、琴を見て言った。
「私がピアノを弾きます。合奏しましょう」
「さくら」などの調べが流れた。さわやかな涼風のような励ましとなった。
伸一は、この七月二十一日の夕刻、島根県の代表との懇談会をもった。県の活動の模様や参加者の近況報告に耳を傾けながら、島根広布の未来展望を語り合った。
関西を訪問する前から、彼の体調は芳しくなかった。
発熱し、首が腫れ、激しい疲労感に苛まれた。医師にも来てもらっていた。
しかし、〝今こそ、鳥取、島根の同志と、強く、固く、心を結び合い、どんなに嵐が吹き荒れようが、微動だにしない、難攻不落の創価城を築き上げるのだ!〟と決意していた。
人を強くするものは、自らが心に定めた信義である。
戸田城聖が、敗戦間近の焼け野原に一人立って、広宣流布の大誓願に生きたのはなぜか――
もちろん、その底流にあるのは、戸田が獄中での唱題の末に会得した〝われ地涌の菩薩なり〟との大確信であったことはいうまでもない。
そのうえで、彼が地涌の使命に生きる力となったものは、軍部政府の弾圧によって殉教した、師である牧口常三郎の遺志を受け継ごうとする、弟子の信義にほかならない。
伸一もまた、戸田の精神を継承し、師の広宣流布の構想を断じて実現しようとの信義が、精進の力となり、日々の発心の源泉となってきた。
己心に師をいだき、師との誓いを果たそうとするなかに、信念の〝芯〟がつくられるといってよい。
伸一は、それゆえに、一人ひとりと会い、共に広宣流布に生きる地涌の菩薩として、不二の同志として、心を通わせ合い、信義と信義の絆を結ぼうと必死であったのである。