大道 6

四国記念幹部会や婦人部懇談会など、四国研修道場での諸行事を終えた山本伸一は、夜更けて、「東京の歌」の作詞に取り組んだ。
彼は、歌詞を考えながら、東京が、全国、全世界の広宣流布の本陣として、さらに大きな飛躍(ひやく)を遂げていくためには、何が必要かを考えていった。

――東京は、人の層も厚く、多彩な人材が集っている。
しかし、それは、ともすると、一人ひとりの責任感、使命感の希薄化(きはくか)を招きかねない面がある。
つまり、"自分ぐらいいなくても、どうにかなるだろう""誰かがやるだろう"といった感覚に、陥(おちい)ってしまいがちであるということだ。
また、東京には、活動経験の豊富(ほうふ)な、古くからの幹部も多い。
いつ、何が活動として打ち出されるかや、活動の手順(てじゅん)も、たいていわかっている。
そのため、求道心(きゅうどうしん)、清新(せいしん)の息吹を失い、惰性化(だせいか)してしまいがちな傾向があることも否定できない。
伸一は、気づかぬうちに陥りがちな、こうした傾向を各人(かくじん)が打破して、生命を覚醒(かくせい)させる歌を作らなければならないと思った。

――その瞬間、彼の脳裏に、「感激」という言葉が浮かんだ。
"仏法(ぶっぽう)の眼(まなこ)を開けば、すべては感激に満ちている。自分が地涌(じゆ)の菩薩(ぼさつ)として、広宣流布の大使命をもって、この時に、広布の本陣たる大東京に出現したこと。
この地に大宇宙より雲集(うんじゅう)した同志(どうし)と奇(く)しくも巡り合い、久遠(くおん)の誓いを果たそうと、大法戦を起こしたこと。
日蓮大聖人の御遺命(ごゆいめい)たる世界広宣流布の時代の幕を、今、自分たちの手で開こうとしていること……。
一つ一つが不思議な、大感動の事実であり、感激以外の何ものでもない"
この「感激」というキーワードが定まると、歌の構想は、次第に固まっていった。“私たちの日常の振る舞い一つ一つが、地涌の菩薩の乱舞(らんぶ)の姿である。
そうだ、その一日を歌おう。
朝の祈り、中天(ちゅうてん)の燦(さん)たる光、夕陽のなかを走る友、満天の星……。
歌詞は、4番までにしてもいいだろう"