小説「新・人間革命」大道 28 2015年3月14日

 
山本伸一は、岐阜県多治見市の東濃文化会館に向かう途中、名古屋市守山区内にある、喫茶店に立ち寄った。
店を切り盛りする学会員と、その家族、そして、地元の支部長らを励ますためであった。
〝たとえ短時間でも、できることは全力を尽くして、すべてやろう〟と、心に決めていたのだ。
そして、自らに、こう言い聞かせてきた。
〝機会を逃すな! 一瞬が勝負だ。一度の励ましによって、生涯にわたる発心の種子を蒔くこともできる!〟
伸一を乗せた車は、名古屋市守山区を抜け、庄内川に沿って走った。道幅は狭く、片側は崖である。
夏の日差しに、山の深緑が映え、水面には光が躍っていた。庄内川は、岐阜県に入ると、土岐川と名前を変えた。
伸一が、東濃文化会館に着いたのは、午後三時五十分であった。
会館には、多くの同志が集っていた。彼は到着するなり、皆のなかへ入っていった。
「皆さんにお会いしにまいりました!」
玄関前の広場には、美濃焼で知られる東濃らしく、陶芸コーナーが設けられていた。素焼きの白い大皿や花瓶などが並べてある。
役員の青年が元気な声で言った。
「先生! 記念に何かお書きください」
伸一は、「わかりました。なんでもやらせてもらいますよ」と笑顔を向け、陶芸コーナーの椅子に腰を下ろした。筆を手にし、顔料を含ませ、大皿に「多治見広布」と認めた。
もう一枚には、「喜楽之譜」と書いた。前日の「中部の日」記念幹部会で拝した、「幸なるかな楽しいかな穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なる而已」(御書九七五㌻)の御文からとった言葉である。
東濃の同志は、〝何があっても負けずに、喜楽の調べを奏でてほしい〟との思いを込めた揮毫であった。
岐阜出身の思想家・佐藤一斎は、「喜気は猶お春のごとし。心の本領なり」(注=2面)と語った。「喜びは春のようなもので、これは心の本来の姿である」との意味である。