【第50回】 不動の自分を築きゆけ  2015-3-5

法華経の行者として・かかる大難にあひ候(そうろう)は・くやしくおもひ候(そうら)はず、いかほど生(しょう)をうけ死にあひ候とも是(これ)ほどの果報の生死(しょうじ)は候はじ(四条金吾殿御返事、1116㌻)
 
〈通解〉 法華経の行者として、このような大難にあったことを、悔しいとは思わない。どれほど多く、この世に生を受け、死に出あったとしても、これほどの幸せな生死はないであろう。
 
~同志への指針~
日蓮大聖人は、いかなる迫害にも「喜悦はかりなし」の大境涯であられた。
仏法の眼(まなこ)で見れば、苦難には全部、意味がある。全てが永遠に崩れざる幸福境涯を築くための試練なのだ。
苦しみがないから幸福なのではない。何ものにも負けない自分を毅然(きぜん)と築く中に、真の幸福と安穏がある。戦う心に、三世を貫く大満足の果報が約束されるのだ。