小説「新・人間革命」大道 46 2015年4月4日

広島に原爆が投下されて三十三年となる一九七八年(昭和五十三年)八月六日は、日曜日であった。
東京の空は、青く晴れ渡り、雲一つなかった。
山本伸一は、自宅で妻の峯子と共に、広島の原爆犠牲者を追善し、平和社会建設への誓いを込めて、勤行・唱題を行った。
気温は午前九時には、三〇度に迫っていた。
彼は、「今日も暑くなりそうだな。東北の女子部員は大丈夫だろうか」と思った。
実は、午後から、信濃町創価女子会館で、東北女子部の勤行会が開催されることになっていたのだ。
この会館は、前年十二月末に、伸一も出席して開館記念勤行会
が行われた、女子部の宝城である。館内には女子部愛唱歌「緑の栄冠」の歌碑も設置されていた。
東北各県の女子部が、ここに一堂に集うのは初めてのことであり、メンバーは夜行列車などで、胸を躍らせて、東京にやって来ているにちがいない。
「同世代の女性が、ゆっくりと休んだり、遊んでいる日曜日に、求道心を燃やして、女子会館に集って来る。なんと健気で、尊いことか。長旅の疲れを吹き飛ばすような、感動と歓喜をもって、帰ってもらおう……」
伸一は、この勤行会で、「東北の歌」を発表しようと思い、歌の制作に取り組んだ。
関西、中国、四国、九州、中部、東京に次ぐ、方面の歌である。
「東北の歌」は、数日前から歌詞を作り始め、曲もある程度、出来上がっていたが、まだまだ納得のいくものではなかった。
全精魂を注いで歌詞を練り続けた。
彼は、「東北」というと、五四年(同二十九年)四月二十五日、仙台を訪れた戸田城聖と共に、青葉城址に立った日のことが忘れられなかった。
市街を一望しながら、戸田は語った。
「学会は、人材をもって城となすのだ!」
それは、伸一をはじめ、東北の同志の、「必ず不滅の人材城を築き、広布推進の力になってまいります」との永遠の誓いとなった。