【第61回】 決然と一人立て! (2015.7.11)

日蓮法華経を信じ始めしは日本国には一タイ(さんずいに帝)・一微塵(みじん)のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚(みょうかく)の須弥山(しゅみせん)ともなり大涅槃(だいねはん)の大海ともなるべし(撰時抄、288㌻)
 
〈通解〉 日蓮法華経を信じ始めたのは、日本国にとっては、一滴の水、一粒の塵のようなものである。
やがて、二人、三人、十人、百千万億人と、人々が法華楊の題目を唱え伝えていくようになると、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるに違いない。
 
~同志への指針~
 
いかなる大事業も、決然と立つ一人から始まる。大海原が一滴の水から始まり、最高峰も一つ一つの微塵で構成されるように、一人から一人への対話によって人間主義の大連帯も築かれる。
「誰か」ではない。「自分」である。地湧の若人が師子王の心で立ち上がる時、拡大の突破口は必ず開かれる。
広宣流布の未来を、君よ、君たちよ、断じて頼む。