【第74回】 折伏の目的は自他共の幸福  (2015.5.20)

相手を思う心こそ大切
皆で御書を学び合った折、一人の女子部の友から、「折伏が思うように進まないのですが」と質問されたことがある。
折伏のことで悩む。その心それ自体が、仏の心である。仏の悩みである。
私は最大に讃えつつ、申し上げた。
折伏については、結局は相手を思う一念です。一人の不幸な人を救おうよ。一人の命は地球よりも重いのです」と。
報恩抄には、「日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)・未来までもなが(流布)るべし」(御書329㌻)と仰せである。
折伏は、この御本仏に連なる最極の慈悲の行動である。友の幸せを祈り、友を思う真心からの対話は、互いの未来を開いていくのだ。
 
まず「できる」と決めて
若き日、私も折伏が進まず、大いに悩んだ。
その中で私は、「戸田先生は末法折伏の師匠である。私はその弟子である。ならば、折伏ができないはずがない」と心を定めた。
折伏は、まず「できる」と決めることだ。
その人の生命を、永遠の幸福の軌道ヘリードしていく、人間として最高に尊い振る舞いである。ゆえに、題目を根本にして、朗らかに自信満々と、仏法を語り、体験を語り、創価の世界を語り切っていけばよいのだ。
 
隋力弘通、力の限り語れ
戸田先生は、確信を込めて言われた。「人に聞かせているだけで、それは折伏であり、聞法下種(もんぽうげしゅ)になるのです。すぐ功徳は出る」と。
折伏は、実っても、実らなくても、功徳は厳然とある。自身の成長と人間革命に直結し、希望の仏縁と真実の友情が広がる。
諸君の先輩たちも、折伏の実践のなかで、境涯を革命し、家庭を革命し、職場にあって勝利の実証を示し、信頼を築いてきた。
日興遺誠置文(にっこうゆいかいおきぶみ)には、「未(いま)だ広宣流布せざる間は身命(しんみょう)を捨て随力弘通(ずいりきぐつう)を致(いた)す可(べ)き事」(同1618㌻)と仰せである。
隨力弘通」こそ学会精神だ。自分が持てる力を青年らしく出し切って、戦おう!