【第77回】 白蓮華の如く 強く清らかに 2015.7.1

 
希望の花は現実の泥中(でいちゅう)で咲く
 
御聖訓には、「妙法蓮華経と申すは蓮に譬(たと)えられて候」(御書1580㌻、「上野尼御前御返事」)と仰せである。
その蓮華の名を冠する白蓮グループとは、なんと尊貴な使命と福徳の集いであるか。
「如蓮華在水」――蓮華が泥沼にあって清浄無比の大輪を開花させるように、白蓮の乙女たちは、どんな環境でも、強く清らかに希望の花、歓喜の花を咲かせ広げていけるのだ。
また、蓮華は花と実が同時に成長するゆえに、仏の生命を開く原因も結果も同時に具わる「因果倶時(いんがぐじ)」の法理を表している。
この妙法に則って決意し、祈り、行動する白蓮のリーダーは、最高に充実した青春の劇を飾りながら、長い一生の幸福勝利の果実も育んでいるのだ。その誇りと確信を忘れまい。
 
 悩みに「負けない心」で
悩みは、心が成長しゆく証しといってよい。悩みがあるからこそ、境涯を深められる。リーダーが悩みと戦うからこそ、皆を励ませる。
御書には、「煩悩の淤泥(おでい)の中に真如の仏あり」(740㌻、「御義口伝」)と説かれている。
苦悩する人々の中へ分け入って、抜苦与楽の対話を貫く生命こそが、仏なのである。
いかなる悩みの淵にあっても、心が負けなければよい。「負けない心」が未来を創る。
同志と共に、創価家族と共に、題目を唱え抜いて、この現実社会で、わが生命を “妙法蓮華の当体” と輝かせ切っていくのだ。
 
「さわやかな声」で幸の連帯を
白蓮グループの愛唱歌「星は光りて」は、私の妻も大好きな歌である。
「疲れたる友に さわやかな声」
「涙の人をも 喜びゆかんと
晴れの姿を 見おくる姫らは」
一回一回の着任、一つ一つの振る舞いが、最も気高く、最も偉大な仏道修行である。
「法のため」「人のため」に尽くしゆく日々は、無上の「心の財(たから)」を積んでいるのだ。
白蓮の皆さんの「さわやかな声」が響くところ、幸の連帯が広がる。諸天善神も集まり、創価の行進を讃え、護りゆくに違いない。