小説「新・人間革命」 勝利島 28 2015年8月22日
離島本部の総会には、鹿児島県のトカラ列島からも、メンバーが参加することになっていた。
一九六四年(昭和三十九年)三月、石切広武が地区部長の任命を受けた。
以来十四年、彼は鹿児島市内に居住しながら、これらの島々の同志の激励に通い続けてきたのである。
石切の入会は、五六年(同三十一年)十月、四十一歳の時のことである。
鹿児島で生まれ育った彼は、水産会社やアイスクリーム製造業などを手がけたが失敗。
多額の借金を抱えていた時、知人から学会の話を聞いた。
神秘主義的な教えではなく、生命の原因と結果の法則を説く宗教であることに共感し、信心を始めた。
入会後、学会活動に意欲的に取り組み、十世帯、二十世帯と仏法対話を実らせていった。
依然として経済苦は続いていたが、入会の翌年、弘教のため、大阪を訪れた。
その折、大阪に来ていた青年部の室長の山本伸一と会って、名刺を交換した。
そして、釈放された伸一から葉書が届いたのだ。
そこには、何があっても決して動揺することなく、広宣流布の使命に生き抜き、悔いなき一生を送るようにとの、烈々たる気迫の言葉が綴られていた。
石切は感動した。
〝ご自身が最も大変ななかで、たった一度しか会ったことのない、事業にも失敗した敗残兵のような男のことを心配し、励ましてくださる。
これが、これが学会の心なのか!