小説「新・人間革命」 勝利島 29 2015年8月24日

山本伸一から石切広武に届いた葉書には、「上野殿御返事」の一節が認められていた。
「或は火のごとく信ずる人もあり・或は水のごとく信ずる人もあり、聴聞する時は・も(燃)へた(立)つばかりをも(思)へども・とを(遠)ざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たい(退)せず信ずるなり」(御書一五四四ページ)
石切は、何があろうが、一喜一憂することなく、黙々と信心に励もう。断じて水の信心を貫いていこう!と心に誓った。
やがて彼は、苦境を脱し、食品会社を起こして、全国に販路を広げ、借金も返済し、見事に、信心の実証を示していくことになる。
一九五八年(昭和三十三年)八月、第二代会長・戸田城聖亡きあと、総務として学会の一切を支えていた伸一が、鹿児島を訪問する。
石切は、信心に励み、仕事の状況が大きく好転したことを、胸を張って報告した。
その口調には、必死に生活苦と戦っている健気な同志を、どこか下に見ているかのような響きがあった。
伸一は、話を聞き終えると、石切の目を見すえ、厳しい声で言った。
「弘教に励み、事業がうまくいった――それは、ひとえに御本尊の功徳であり、信心の力です。
しかし、もしも、慢心を起こし、信心が蝕まれてゆくならば、またすべてが行き詰まってしまう。
したがって、自身の心に巣食う傲慢さを倒すことです。
題目を唱え、折伏をすれば、当然、功徳を受け、経済苦も乗り越えられます。
しかし、一生成仏という、絶対的幸福境涯を確立するには、弛まずに、信心を貫き通していかなくてはならない。
信心の要諦は持続です。
ところが、傲慢さが頭をもたげると、信心が破られてしまう。だから大聖人は、『只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこ(幢)をたを(倒)し忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだし(紲)なり』(同四六三ページ)と仰せになっているんです」