小説「新・人間革命」 勝利島 30 2015年8月25日

山本伸一は、御書の御文を解説していった。
日蓮大聖人は、成仏したいと思うなら、ひたすら慢心の幢鉾を倒し、瞋りの杖を捨てて、一仏乗である南無妙法蓮華経を信じていくべきであると言われている。
そして、名聞名利は、今生の飾りに過ぎず、我を張り、偏見に執着する心は、後生の成仏の足かせになってしまうと、指摘されているんです。
私は、たくさんの人を見てきましたが、退転していった人の多くが傲慢でした。
慢心があれば、自己中心になり、皆と団結していくことができず、結局は広宣流布の組織を破壊する働きとなる。
あなたには、信心の勝利者になってほしいので、あえて言っておきます」
石切は、自分の本質を、鋭く見抜かれた思いがした。額には、冷や汗が滲んでいた。
〝よし、断じて慢心を打ち砕こう! 生涯、広宣流布を陰で支え抜く男になろう!〟
一九六三年(昭和三十八年)、彼は、「聖教新聞」の取次所(後の販売店)を営むことになった。
広宣流布のために、学会のために尽くしたいとの思いから、決断したのである。
その配達の範囲に、三島村や十島村も入っていた。
当時、「聖教新聞」は、週三回刊であった。島の購読者には、各戸宛てに郵送するのである。
翌年の三月、彼は、この十島村と三島村を擁する地区の地区部長に就任した。
リーダーの活動の眼目は、一人ひとりと会うことだ。それが一切の基本である。
十島村のメンバーを家庭訪問するには、奄美大島の名瀬に行く船に乗り、口之島、中之島、平島、諏訪瀬島、悪石島、小宝島、宝島と南下していく。
船は、月に四往復しかない。十島村は南北百六十キロに島々が点在し、その列島の、あの島に三世帯、この島に五世帯といる同志を励ますのだ。
毎月一度は、十島村、三島村を回った。海が荒れれば、船は欠航する。
家を出れば、いつ帰れるかわからない。
自宅で眠れるのは、月に十日足らずということもあった。
石切は、島の同志のために尽くし抜く覚悟であった。