小説「新・人間革命」 勝利島 31 2015年8月26日

各島々を回る石切広武を、家族は力を合わせ、必死になって支えた。
島の人びとの暮らしも、学会活動も、本土の都市にいたのでは想像もできない大変さがあった。
石切が地区部長になったころ、まだ港が整備されていない島が多く、沖で櫓漕ぎの艀に乗り移って、島に向かわなければならなかった。
頭から足まで、びしょ濡れになる。
船から荷を降ろして運ぶには、島に艀を操れる人がいなくてはならない。たとえば、十島村臥蛇島では、島民が数世帯に減少し、その作業をできる人がいなくなってしまったことから、一九七〇年(昭和四十五年)に全住民が島を離れ、無人島となっている。
トカラ列島の北の玄関口にあたる口之島で二十四時間送電が実現したのは、七八年(同五十三年)七月からである。
それ以前は、島の自家発電所による給電であり、時間制限があった。また、供給が不安定で、座談会の最中に停電することもあった。
ある時、石切は皆に学会の映画を見せたいと思い、映写機を担いで学会員宅を訪問。スイッチを入れると、映写機の電球が切れた。
予備の電球も切れてしまい、上映できなかった。
自家発電のため、電圧が本土と違っていたのだ。
次回からは変圧器持参となった。
島内を回るには、二時間、三時間と、ひたすら歩くしかない。
真っ暗な夜道を歩いていて、側溝に落ちたこともある。
石切のバッグには、幾つもの即席麺が入っていた。
自分の食事のことで、島の同志に迷惑をかけるわけにはいかなかったからだ。
海が荒れ、船が欠航すれば、何日も島で待たなければならない。
しかし、その間、一人ひとりと、じっくりと対話ができた。
島では、一人が本気になれば、広宣流布は大きく開かれるが、一人の退転や離反で、組織が壊滅状態に陥ってしまうこともある。
〝不撓不屈の決意に立つ、広布の闘士を育てよう。
それには、俺が不撓不屈の人になることだ。
師子となってこそ、師子を育てることができる〟――彼は自分に言い聞かせた。