小説「新・人間革命」 勝利島 39 2015年9月4日

創価学会の組織は、なんのためにあるのか─
─人びとに真実の仏法を弘め、教え、励まし、崩れざる幸福境涯にいたるよう手を差し伸べ、切磋琢磨し合っていくためにある。
したがって、最も苦しく、大変ななかで信心に励んでいる人ほど、最も力を込めて激励し、元気づけていかねばならない。
それぞれの島に住む学会員は多くはないが、大都市にばかり目が向き、各島に光を当てる努力を怠るならば、万人の幸福を築くという、学会の使命を果たしていくことはできない。
山本伸一は、かねてから、島の同志が、希望に燃え、勇気をもって、はつらつと前進していくための、励ましの組織をつくらねばならないと考えていた。
学会が「社会の年」とテーマを定めた一九七四年(昭和四十九年)を迎えるにあたり、彼は首脳幹部に自分の意見を伝えた。
そして検討が重ねられ、七四年の一月十四日に、離島本部の結成が発表されたのである。
離島本部長に就いたのは、三津島誠司という、学会本部に勤務する熊本県出身の青年であった。
その十一日後の、一月二十五日のことである。
鹿児島県の九州総合研修所(後の九州研修道場)に、奄美大島沖永良部島、徳之島、種子島与論島など、九州地方の島々から代表五十人が集い、離島本部の第一回代表者会議が開催された。
研修所に滞在していた伸一は、その前日、学会本部首脳や九州の幹部、離島本部の関係者らと、離島での活動について協議した。
この席で彼は言った。
「明後日、私は香港に出発するので、その準備のため、明日の離島の代表者会議には出席できません。
しかし、出迎え、見送りをさせていただきます。皆、村八分などの迫害を受けながら、苦労し抜いて、各島々の広宣流布をされてきた、尊い仏子の皆さんだもの。
全員が、まぎれもなく、日蓮大聖人の本眷属たる地涌の菩薩です。奇しき縁のもとに、それぞれの島に出現し、大聖人の命を受け、広宣流布の戦いを起こされた方々です」