小説「新・人間革命」 勝利島 42 2015年9月8日

離島本部は、当初、本部長と二人の副本部長でスタートし、次いで九州と沖縄に方面離島長が誕生した。
彼らが、離島の実態を調べて驚いたのは、約四百ある有人の島の多くに学会員がいるということであった。といっても、一世帯から数世帯しか会員がいない島も少なくなかった。島の同志は、まさに一人立って、創価の松明を掲げ、孤軍奮闘していたのである。
離島本部の幹部たちは、励ましの手を差し伸べることの必要性を痛感した。
彼らは、愛媛県の中島をはじめ、熊本県御所浦島、鹿児島県の奄美群島、東京の伊豆大島八丈島三重県の菅島、答志島などを回り、力の限り激励を重ねた。
島を訪ねる時は、各県の幹部にも同行してもらった。同じ県内であっても、初めて島に渡るという幹部もいた。日帰りができないケースや、海が荒れると、いつ帰れるかわからないこともあるため、島に行く機会を逸していたのである。
しかし、離島本部の幹部が、島を駆け巡る姿を目の当たりにして、地元の県や本部の幹部の意識にも変化が起こった。厳しい条件のなかで活動している人にこそ光を当て、讃え、励まし、希望と確信を与えていくという幹部の基本姿勢を、再確認する契機となったのだ。そして、積極的に離島を訪れる流れが生まれていったのである。
離島本部長の三津島誠司らは、山本伸一の沖縄指導があった翌月の三月、完成したばかりの、その記録映画のフィルムを持って、沖縄の久米島宮古島池間島伊良部島西表島石垣島を回った。〝先生が石垣島宮古島を訪問された様子を各島々に伝え、歓喜の波動を広げよう!〟と意気軒昂であった。
各島で「映写会」や「講演と映画の夕べ」など、趣向を凝らした催しが行われた。友人も参加しての楽しく有意義なひと時となった。
時を逃さずに、直ちに行動を起こす。その素早い反応と懸命な実践が、広宣流布の流れを大きく開く好機を創る。