小説「新・人間革命」 勝利島 44 2015年9月10日

離島本部の幹部は、四月には日本海に浮かぶ島のなかで最北に位置する北海道の礼文島や、利尻島にも足を運んだ。両島で映画「人間革命」の上映を行った。利尻島では百五十人を、礼文島では三百人を超える人びとが集って鑑賞した。
その折、「聖教新聞」の創刊二十三周年記念事業の一環として、礼文町礼文小学校に千冊余の図書贈呈が行われたのである。
さらに五月、離島本部長らは、小笠原諸島の父島を訪問することになった。
小笠原は、東京の南方千キロの太平洋上にあり、父島をはじめ、母島、硫黄島南鳥島など、三十余の島々から成る。一九四四年(昭和十九年)、太平洋戦争の激化にともない、島々に住んでいた約七千人の住民が、本土などに強制疎開させられている。その島のなかで、硫黄島は米軍との激戦の舞台となった。守備隊の大多数の約二万二千人が戦死。米軍も七千人近い戦死者と約一万八千人の負傷者を出したといわれる。
戦後、小笠原はアメリカの施政権下に置かれ、返還されたのは、強制疎開から二十四年後の六八年(同四十三年)六月のことであった。その後、かつての住民たちが帰還し、広宣流布の火がともされていった。そして、七四年(同四十九年)ごろには、弘教も活発に進められていたのである。
小笠原の島々は、一年中、暖かく、梅雨もない。固有の進化を遂げた生物が多く、「東洋のガラパゴス」と呼ばれている。豊かで美しい自然が残されており、周辺の海には、クジラやイルカの姿も見られる。しかし、当時、小笠原に行くには、東京の竹芝桟橋から出る週一往復の船しかなかった。片道三十八時間、三日がかりの船旅となる。
離島本部から上がってきた、小笠原指導の報告に対して山本伸一は言った。
「私に代わって行ってきてください。会長ならどうするかと常に考え、大確信をもって激励を頼みます。師弟不二の心で行動してこそ、大いなる力が発揮できるからです」