小説「新・人間革命」 勝利島 52 2015年9月21日

一九七八年(昭和五十三年)一月、「広布第二章」の支部制が発足し、離島にあっても清新の息吹で新たな前進が開始された。
山本伸一は、各島々の飛躍のために、ますます力を尽くそうと心に決め、島にあって広宣流布を支え、推進してくれた同志を、讃え、励ますことから始めた。
彼は、それぞれの島に生き、戦う、勇者たちの英姿を思い浮かべ、祈りを込め、代表に激励の和歌や言葉を、次々と贈っていった。
 
 「奥尻の 友はいかにと 今日も又 幸の風吹け 祈る日々かな」
 「大聖に 南無し護らむ 佐渡の地で 広布の友の いくさ讃えむ」
 「いつの日か 渡り語らむ 隠岐の島 わが友思はば 心はずみて」
 「ふたたびの 友と会いたし 徳の島 幸の唱題 おくる嬉しさ」
 「はるかなる 宮古の島に 君立ちて 広布の楽土を 祈る日日かな」
 
東京・伊豆大島の同志にも詠んだ。
 「いついかん 椿の花の その下で 広布に舞いゆく 君らいかにと」
 
沖縄・久米島の同志には、こう記した。
「どんなに辛くとも 団結第一で楽しい人生を 題目と共に 生きぬいて下さい」
 
この励ましに、同志は燃えた。
吹雪の暗夜を歩み続けてきた人には、一言の激励が勇気の火となり、温もりとなる。
苦闘し抜いた人ほど、人の真心を感じ取る。
山本伸一は、どこへ行っても、離島から来たメンバーがいると聞けば、全精魂を注いで励ましていった。
三月三十一日、彼は、東京・大田区に新たに完成した大森文化会館を視察した。
会館の和室で地元のメンバーと懇談していると、区の幹部が、八丈島から来たという数人の会員を連れてきた。
伸一は、立ち上がって、皆を部屋に招き入れながら語った。
八丈島! 八丈島からですか! 遠いところ、ようこそおいでくださいました」