【第33回】 仏法は永遠の幸福開く哲学  (2015.11.8)

伝統の教学部任用試験(きょうがくぶにんようしけん)を目指(めざ)し、仏法の生命哲学を学ばれている皆様こそ、偉大な求道(きゅうどう)の哲学者である。多くの会友の方も受験されると伺(うかが)い、うれしい。共に研撰(けんさん)し、応援してくださる先輩方も、本当にありがとうございます。
日蓮大聖人は門下へのお手紙に、「法華経を耳に触(ふ)れるならば、これを種(たね)として必ず仏になるのです」 (御書552ページ、通解)と仰せになられた。
たとえ一文一句(いちもんいっく)でも心に刻(きざ)めば、いかなる乱世にも揺(ゆ)るがない智慧(ちえ)と慈悲(じひ)と勇気の光源となる。
妙法の功徳には「開」 「具足円満(ぐそくえんまん)」「蘇生(そせい)」の三義(さんざ)がある。
妙法は、あらゆる法と功徳を具(そな)えた根源的にして円満(えんまん)な法であり、全てのものの本来の価値を開く力用がある。ゆえに、どんなに行き詰まった境遇(きょうぐう)の人をも蘇生(そせい)させ、成仏(じょうぶつ)させることができるのだ。
私自身、戸田先生のもとで御書を学んだことは、最高の青春の誉(ほま)れだ。試練に挑(いど)む中で、御書の一節一節が常に新鮮な感動をもって胸に迫ってくる。それを深く実感する日々であった。
大聖人は「一生をむなしく過(す)ごして、万年の間、悔(く)いてはならない」(同970ページ、通解)と教えられた。だからこそ最も大事なのは、生老病死(しょうろうびょうし)を乗り越える、永遠の幸福の道を探究(たんきゅう)することだ。
苦悩の民衆を救わんと、命に及ぶ大難(だいなん)の連続を忍(しの)ばれた大聖人のご生涯を思えば、自分自身の苦難を乗り越える勇気が湧(わ)いてくる。
恩師は語られた。
「大聖人の大慈大悲(だいじだいひ)を世界に宣揚(せんよう)しなければならない。大聖人ほどの仏様は断じて他にはおられないからだ」と。
悩みがあるから幸福になれる。煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)・生死即涅槃(しょうじそくねはん)である。焦(あせ)らず悠然(ゆうぜん)と進むのだ。
宿命を使命に変え、万人(ばんにん)が健康で幸福に、そして共に平和に生きる智慧(ちえ)を学ぶ大学校なのである。