第3回  響け「福光」の凱歌 (2016年3月11日)

「冬は必ず春」を我らが実証
東北の負けじ魂はいよいよ厳たり
   
 あの未曽有(みぞう)の「東日本大震災」から、5年の節を迎えました。
 私は、妻と共に、一段と強く深く、全ての犠牲者のご冥福(めいふく)を祈り、追善回向(ついぜんえこう)の題目を送ります。
 ご家族や友人をはじめ縁深き方々を亡くされた悲しみを抱えながらも、不屈(ふくつ)の心で苦難と戦い続けておられる皆様方に、真剣に題目を送ります。
 仮設住宅や避難先で、また地元で、さらに新たな天地で、懸命(けんめい)に奮闘(ふんとう)されている皆様方に、共戦の題目を送ります。
 「題目を唱え奉(たてまつ)る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(808ページ)と御書にあります。
 この究極の希望の源泉たる題目を唱え響かせて、三世の同志と共々に金剛不壊(こんごうふえ)の「心の財(たから)」を生命に積み上げ、断固と「福光」の未来を開いていってください。
 
風雪を耐え抜き
 日蓮大聖人は、厳然と仰せくださった。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書1253ページ)
 この不滅の御金言を賜(たまわ)ったのは、健気(けなげ)に信心を貫く一人の母である。
 大聖人と一門への迫害が打ち続く風雪の渦中(かちゅう)であった。師弟の道を歩み通した正義の夫は僅(わず)かな領地(りょうち)も奪(うば)われて、大聖人が佐渡流罪から赦免(しゃめん)を勝ち取られる晴れ姿を見ずして逝去(せいきょ)した。いかばかり悔(くや)しかったことか。
 まさに厳寒の冬の境遇(きょうぐう)の下で、病の子どもらを抱きかかえて、必死に生き抜いてきた母である。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし」と言われた時、この母は、ああ、今の自分たち一家のことだと拝されたであろう。その冬の生命が、必ず「春」へ開くと、御本仏が断言なされたのである。
 
 煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)である。一番苦しんだ人こそ、一番幸福になる権利がある。
 「冬は必ず春となる」──この御文を生命の底から最も深く拝し、人生の上に、また現実社会の上に、堂々と実証してこられたのは誰か。それこそ「わが偉大な東北の同志なり!」と、私は声を大にして叫びたい。
 大聖人は、この母に対して、信念に生き切った夫君(ふくん)を讃嘆(さんたん)されながら、こう励まされている。
 「大月輪の中か大日輪(だいにちりん)の中か天鏡(てんきょう)をもって妻子の身を浮(うか)べて12時に御らんあるらん」(同1254ページ)と。
 妙法で結ばれた家族は、生死を超えて「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の春を、一緒に勝ち開いていけるのだ。
 
生命の絆は永遠
 災害や事故などによって、互いに結び合っていた人生が突然に「死」と「生」に引き裂(さ)かれてしまう。それは、何より辛(つら)く、悲しい別離(べつり)だ。
 肉親や近しい人の死は、生前には気づけなかった思いを湧き上がらせる。もっとこうしていればと、振り返って涙が頬(ほほ)を伝う時もあろう。追憶(ついおく)は尽きることがない。
 法華経寿量品には、「方便現涅槃(ほうべんげんねはん)(方便もて涅槃を現ず)」と、死もまた方便であると説かれる。生も死も同じ永遠の生命に具(そな)わる現(あらわ)れであり、生死は不二なのである。
 永遠の生命観で捉(とら)えるならば、死によって「心の絆」「生命の絆」が切断されることは決してない。
 亡くなった家族や友人の遺志を受け継ごうと、ひたぶるに御本尊に祈る中で、切れず離れず、生死を超えて共にあると、私たちは深く感じ取ることができる。寿命も、福運も、誓いも、全て受け継いでいく「後継者」なのである。
 妙法は三世にわたって生命に凱歌を響かせゆく大法である。ゆえに「我ら東北家族の絆は永遠! 永劫に幸福勝利なり」と確信し合いたい。
 
一歩また一歩と
 若き日、学の都・仙台に留学した中国の文豪・魯迅(ろじん)は綴(つづ)っている。
 「『人生』という長い道のり」にあって「分れ道」や「行きどまり」にぶつかる時がある。
 その時にどうするか。
 「私は、泣きもしなければ引返しもしません」と魯迅は言うのである。
 断じて「踏み越えて行きます。いばらの中でもかまわない」と。
 震災5年──。被災された方々には、困難(こんなん)や矛盾(むじゅん)をはらんだ「分れ道」や、「もう、これ以上進めない」と天を仰ぐような「行きどまり」の連続であったに違いない。
 「震災から5年」とは、「震災が始まって5年にすぎません」と表現した友がいる。時間の進み方は皆が違う。暦(こよみ)に合わせて、悲しみや苦しみが薄れるわけではない。
 それでも、わが同志は、一歩また一歩と、自らの歩幅(ほはば)で「福光」への歩みを重ねられた。勇気を奮い起こして、いばらを踏み越え、能忍(のうにん)の前進を続けられた。
 私は、一人ひとりの肩を抱き、握手を交わす思いで最大に讃えたい。
 
庶民の王者たち
 信心とは無限の希望であり、最強の勇気だ。
 深い闇に夜明けの光を求めるように、未曽有の大苦難の日々にあって、あの母が、あの父が、必死に御本尊に向かい、『御書』を開いた。
 御文はただの文字ではなかった。日蓮大聖人の師子吼(ししく)であり、慈愛の肉声であった。一節一節を大聖人と対話するように拝し、命に刻んできた。
 
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし(中略)つたな(拙)き者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書234ページ)
 この御文を拝しては、今が「まことの時」だと思い定め、「負げでたまっか!」と頭を上げ、地域を陽光の笑顔で照らす母がいる。
 
 御聖訓には、「夫れ木をうえ候には大風吹き候へども つよ(強)きすけ(扶)をかひ(介)ぬれば・たうれず」(同1468ページ)とも仰せである。
 ゆえに我らは互いに支え支えられながら、生き抜いていくのだと、一人また一人、一軒また一軒、粘り強く激励に歩き続ける父がいる。その中で、正義の五勇士の連帯も大きく広がっている。
 なんと尊き如説修行の父母たちか!
 「難来(なんきた)るを以(もっ)て安楽」(同750ページ)と立ち向かう。その覚悟に、大聖人と同じ仏の生命が涌現(ゆげん)するのだ。
 それは、命にも及ぶ大難の中を、「師子王の心」で民衆救済の大闘争に走り抜かれた御本仏に直結する生命である。
 我らの東北には、三世の諸仏の御賞讃(ごしょうさん)に包まれゆく、地涌の旗頭(かたがしら)たる「庶民の王者」が無数におられるのだ。
 
青年は勝った!
 
 新生の
  人材 永久に
      東北城
  
 3月6日の日曜日、宮城・利府町の大舞台に、東北6県の若人をはじめ7,000人が集い、春を呼ぶが如く第1回「東北青年音楽祭」が行われた。
 青年部・未来部による福光の凱歌(がいか)と希望の調べ──その歓喜と感動は、私のもとまで明るく晴れ晴れと轟(とどろ)いてきた。
 皆それぞれの使命の場所で奮闘し、そして日本一の希望の拡大を見事に果たしての祭典である。
 その陰には、どれほど慈愛の父母たちの祈りと支えと温かな励ましがあったことか。
 あの友、この友へと「励ましの絆」を広げ、「共に立ち上がろう」と勇んで関わり、働きかけずにおられないのが、東北の創価家族である。
 あらゆる苦難を変毒為薬(へんどくいやく)し、大東北は勝った!
 
 宮城。岩手。青森。秋田。山形。そして、福島──全東北の皆の心が一つになって、フィナーレを飾ったのは、青年部有志が作詞した「希望の光彩」であった。
 「いかなる時も 壊されない/心の財 師と共に/我らが果たす 青葉の誓い/希望の光彩 未来へと」
 悲哀(ひあい)の闇(やみ)を乗り越え、新時代の夜明けを開いた、君たち、貴女たちの姿よ、歌声よ!
 若き君たちの「生命の讃歌」は、亡きご家族や同志の生命をも包み込んでいくに違いない。
 それは、法華経の会座で、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)が娑婆世界(しゃばせかい)に舞い来り、「天の曲」「天の歌」を奏で、末法広宣流布を誓う人びとを鼓舞(こぶ)した如く、福光の未来を大歓喜で晴らしゆく「希望の光彩」なのだ。
 
人間復興の旗手
 
 今月、いよいよ仙台で「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」が開幕する。
 レオナルドは、鳥の飛翔(ひしょう)について「翼を開いて逆風をそれにとらえ、それによって高く上昇する」と洞察(どぷさつ)していた。
 生命には、逆風に敢然と立ち向かう、不屈の力がある。試練を転じて、飛翔する力がある。
 過酷(かこく)なる運命の烈風(れっぷう)に晒(さら)された一人が、みちのくの負けじ魂で、人間革命の翼を広げる英姿が、地域に社会に、どんなに勇気を贈りゆくことか。
 一人の「生命の宝塔(ほうとう)」の限りない尊厳性に、万人が眼を開く。そこに「立正安国」の出発点もある。
 新生・東北の皆様こそ、新たな「生命尊厳の文明」を創り開く、人間復興の希望の旗手なのである。
 今、東北ルネサンスの太陽は昇った! 
 東北の春は、創価の春だ。人間勝利の春だ! 桜梅桃李(おうばいとうり)の生命の花よ、民衆連帯の人材の花よ、爛漫(らんまん)と咲き薫(かお)れ!
 (随時、掲載いたします)
 
 魯迅の言葉は『魯迅選集3』竹内好訳(岩波書店)、レオナルドは『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』杉浦明平訳(岩波書店)。