第41回「SGIの日」記念提言「万人の尊厳 平和への大道」 (2016・1・26/27)㊤

 きょう26日の第41回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、池田大作SGI会長は「万人の尊厳 平和への大道」と題する提言を発表した。提言ではまず、国連で昨年9月に採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の基調をなす、「誰も置き去りにしない」との誓いに触れ、仏法の尊厳観とも相通じるものがあると強調。その尊厳観に立脚し、SGIが国連支援の活動で重視してきた基盤として教育と対話を挙げ、牧口初代会長や戸田第2代会長の思想を通しながら、人間の限りない力を引き出す教育や、歴史創造の最大の推進力となる対話の意義を浮き彫りにしている。続いて、戦後最大規模となった難民問題を踏まえ、5月の「世界人道サミット」で、難民の生命と人権、特に子どもたちを守るための対策とともに、多くの難民を受け入れている国々を支える国際協力の強化を合意に盛り込むことを提案。次に、温暖化防止の合意として先月採択されたパリ協定を軌道に乗せるために、日本と中国と韓国が協力して意欲的な挑戦を進める環境誓約を、日本で今年行われる日中韓首脳会談を機に制定を目指すよう提唱している。最後に軍縮に関連し、紛争やテロの拡大を防ぐために武器貿易条約の批准促進を呼び掛ける一方で、核兵器の問題に言及。ジュネーブで年内に開催予定の核軍縮をめぐる国連の公開作業部会を成功に導くとともに、青年を中心に民衆の連帯を広げる中で核兵器禁止条約の交渉開始を実現させ、核時代に終止符を打つことを訴えている。
 
民衆の力強い連帯と行動で人道の世紀開く曙光を!!
 
 私どもSGIが、国連を支援するNGO(非政府組織)としての活動を本格的に開始してから、今年で35年を迎えます。
 2度に及ぶ世界大戦の反省に立ち、国連が掲げてきた目標は、戦争の惨禍を食い止め、差別と抑圧をなくし、人権が守られる世界を築くことにありました。
 それはまた、私どもが信奉する仏法の根幹をなす、「平和」「平等」「慈悲」の理念とも通じ合うビジョンにほかなりません。人間には誰しも幸福に生きる権利がある。その権利を守るために民衆の連帯を広げ、地球上から「悲惨」の二字をなくすことに、SGIの運動の眼目はあり、国連支援はその当然の帰結ともいうべきものなのです。
 
難民と避難民が6000万人に
 世界で今、多くの人々の生命と尊厳を脅かす深刻な危機が広がっています。
 シリアでの紛争が続く中東をはじめ、各地で難民や国内避難民が急増し、戦闘や迫害から逃れるために家を追われた人々は6000万人にもなります。 
 また相次ぐ災害により、わずか1年の間に1億人を超える人々に被害が及びました。洪水や暴風雨など気候に関連したものが9割近くを占めるといわれ、地球温暖化がもたらす影響の拡大が懸念されます。
 こうした中、国連で史上初となる「世界人道サミット」が、5月にトルコのイスタンブールで行われることになりました。
 これまでのサミットの準備会合でも、かつてない規模で広がりをみせる人道問題への危機意識が高まっています。紛争の早期終結とともに、多くの人々が直面する厳しい状況を打開する道を何としても見いだしていかねばなりません。
 難民問題や災害をはじめとする「人道」をめぐる課題は、長年にわたって私どもが取り組んできたテーマでもありました。
 SGIとしても、国連NGOとして「世界人道サミット」に参加し、信仰を基盤にした団体が人道支援に果たす役割などについての議論を深めながら、市民社会の側から連帯の輪を大きく広げていきたい。
 創価学会が、国連広報局のNGOに登録されたのは1981年でした。
 SGIが、国連経済社会理事会との協議資格を持つNGOとなったのは、私がこの毎年の提言を最初に行った83年のことで、現在まで「平和・軍縮」「人道」「人権」「持続可能な開発」の4分野を中心に活動を続けてきました。
 そこで今回は、私どもが国連支援に取り組む上で基盤としてきたアプローチに触れつつ、人道危機などの地球的な課題を解決するために重要となる視座や、市民社会の役割に焦点を当てて論じたいと思います。
 
2030年に向けた国連の新目標が採択
 
「誰も置き去りにしない」との誓い
 国連で昨年9月、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」=注1=と呼ばれる、新しい目標が採択されました。
 2000年に合意され、昨年まで貧困や飢餓などの改善を進めてきたミレニアム開発目標に続くもので、そこで積み残された課題に加え、気候変動や災害といった喫緊のテーマを幅広く網羅し、2030年に向けて包括的な解決を図ることが目指されています。
 何より注目されるのは、目標の筆頭に掲げられた「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」との文言が象徴するように、すべての課題を貫く前提として「誰も置き去りにしない」との誓いが明記された点です。
 極度の貧困層の半減を達成したミレニアム開発目標の取り組みから、さらに踏み込む形で、誰一人として見捨ててはならないことが宣言されたのです。
 具体的には、さまざまな脅威の深刻な影響を受けやすい存在として、子どもや高齢者、障がいのある人をはじめ、難民や移民などを挙げ、最大の留意を促す一方で、そうした人々へのエンパワーメント(内発的な力の開花)が欠かせないことが強調されています。
 また、人道危機の影響を受けた地域の人々や、テロの影響を受けた人々が直面する困難を取り除くことと併せて、弱い立場にある人たちが特に必要とするものに対する支援の強化が呼び掛けられています。
 
5年に及ぶ紛争が引き起こした被害
 私もこれまで、国連の新目標に「誰も置き去りにしない」との骨格を据えることを訴えるとともに、項目の一つに「すべての難民と国際移住者の尊厳と基本的人権を守ること」を盛り込むよう提唱してきました。
 かつてない規模で難民が増加する中、その状況と真正面から向き合わずして、21世紀の人類の未来は開けないと考えたからです。
 その意味で、国連の新目標にとっての最初の正念場が、難民問題などが議題となる「世界人道サミット」だといえましょう。
 5年近くにわたり紛争が続くシリアでは20万人以上が犠牲になり、人口の約半数が家や故郷から追われる状態に陥っています。
 住居や商店、病院や学校など、あらゆる場所が戦渦に巻き込まれ、避難場所にも攻撃が及んでいるほか、主要な道路が封鎖され、食糧や救援物資の入手が困難になっている地域がいくつもあるといいます。
 その結果、紛争前には、「世界で最も多くの難民を受け入れてきた国」の一つだったシリアが、今では「最も多くの難民が発生している国」になってしまったのです。
 一向にやまない紛争から逃れるため、多くの人が国外脱出を余儀なくされたばかりか、行く先々で危険な目に遭い、家族と離れ離れになった子どもたちも少なくありません。中東を襲った大寒波や、地中海をわたる船の転覆事故などで亡くなった人も大勢います。
 「難民として生きる人生は、動くたびに沈む流砂にはまったようなものだ」(国連難民高等弁務官事務所のプレスリリース、昨年3月12日)
 国連難民高等弁務官を先月まで務めたアントニオ・グテーレス氏は、シリアから逃れた一人の父親が語ったこの言葉を紹介しつつ、状況の深刻さを訴えましたが、どこまで逃れても安心が得られず、先の見えない日々が続く中で生きる縁を失いかけている人は、今も後を絶たないのです。
 アフリカやアジアでも、難民や国内避難民が増加の一途をたどっています。国連難民高等弁務官事務所をはじめとする、さまざまな救援活動が行われてきましたが、依然として、多くの人々が支援を切実に必要とする状況にあるのです。
 
胸を痛める心が灯す「人間性の光明」
目の前の一人を徹して大切に
 
戦時中に難民を守り支えた人々
 大勢の難民がヨーロッパに向かうようになり、さまざまな反応が広がる中、国際通信社IPS(インター・プレス・サービス)の記事で報じられていた、イタリアの港町で暮らす人の言葉が心に残りました。
 「彼らも私たちと同じく生身の人間です。私たちは彼らが沖合で溺れているのを見て見ぬふりをしているわけにはいきません」(「進退窮まる移民たち」、昨年5月11日)
 世界人権宣言には、「すべての人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権利を有する」とあります。
 しかしそれ以前に、先の言葉に宿っていたような〝胸を痛める心〟こそが、人権規範のあるなしにかかわらず、どんな場所でも灯すことのできる人間性の光明だと思うのです。
 創価学会平和委員会が協力し、昨年10月に東京で行われた「勇気の証言――ホロコースト展 アンネ・フランク杉原千畝の選択」でも、その点がテーマとなりました。
 展示では、ナチスの迫害のためにオランダで身を隠す生活に置かれながらも希望を失わなかったアンネ・フランクの生涯とともに、6000人ものユダヤ難民を救うために、訓令に反してビザを発行し続けた日本の外交官・杉原千畝の行動が紹介されました。
 当時、ユダヤ人への迫害が広がっていたヨーロッパで、いくつもの国の外交官たちが、本国政府の方針に背くことを覚悟の上で、自らの「良心」に従う勇気をもって行動し、難民たちを救っていったことが、歴史に刻まれています。
 また、こうした難民の命を守る行動は、アンネの家族の隠れ家生活を命懸けで支えたオランダの女性をはじめ、多くの国の民衆が、人知れず行っていたものでもありました。私は、ここに歴史の地下水脈に流れる「人間性の輝き」をみる思いがしてなりません。
 同じく現代でも、自分たちが住む町に突然現れた難民の姿をみて、どれだけの辛酸を味わってきたことかと胸を痛め、やむにやまれず手を差し伸べてきた人は少なくないと思います。
 その一つ一つの手が、難民の人たちにとって、どれだけ大きな励ましとなり、かけがえのない命綱になってきたことか――。
 このことを考えるにつけ思い起こすのは、マハトマ・ガンジーが、周囲から投げかけられてきた〝大勢の人をすべて救うことなどできない〟との声を念頭に置きつつ、自分の孫に語りかけた言葉です。
 「その時々に、一人の命に触れるかどうかが問題なんだ。何千という人々すべてを見まわすことは、必要じゃない。あるとき、一人の命に触れ、その命を救うことができれば、それこそ私たちが作り出せる大きな変化なんだ」(塩田純『ガンディーを継いで』日本放送出版協会
 ささやかな行動だったとしても、それがあるかないかは、差し伸べられた人にとって決定的な重みをもつ大きな違いなのです。
 
人間の苦しみに無縁なものはない
 このガンジーの信条は、私どもSGIが信仰実践の面はもとより、国連支援などの社会的な活動を展開する上でも銘記してきた、「徹して一人一人を大切にする」との精神と深く響き合うものがあります。
 仏法の根幹は、すべての人々の生命の尊厳にありますが、それは釈尊の次の教えが象徴するように、気づきや内省を促す中で説かれてきたものでした。
 「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店
 つまり、自分が傷つけられることを耐えがたく思い、わが身をかけがえのないものと感じる心――その動かしがたい生命の実感を出発点としながら、〝それは誰にとっても同じことではないのか〟との思いをめぐらせていく。
 そして、その「己が身にひきくらべて」の回路を開いていく中で、他の人々の痛みや苦しみが、わが事のように胸に迫ってくる。
 こうした「同苦」の生命感覚を基盤としながら、いかなる人も暴力や差別の犠牲にすることのない生き方を歩むよう、釈尊は呼び掛けたのです。
 仏法が説く「利他」も、自分を無にすることから生まれるものではない。
 それは、自分の存在と切っても切り離せない胸の痛みや、これまで歩んできた人生への愛しさを足場としつつ、人間の苦しみや悲しみに国や民族といった属性による違いなどなく、〝同じ人間として無縁な苦しみなど本来一つもない〟との生命感覚を磨く中で、おのずと輝き始める「人間性の異名」なのです。
 哲学者のカール・ヤスパース釈尊の評伝をつづる中で、「曚くなりゆく世において、わたしは滅することなき法鼓を打とう」と立ち上がった釈尊の生涯は、「一切の者にむかうとは、ひとりひとりの人にむかうことにほかならない」との決意に貫かれていたと、強調していました(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)。
 私どもSGIは、この精神を現代に受け継ぐ形で、目の前の一人の苦しみに寄り添い、共に涙し、喜びもまた共にしながら、手を取り合って生きるつながりを広げてきたのです。
 
法華経の世界を貫く誓いと歓喜の生命劇
 
これまでの苦難も人生の糧に変える
 仏法を貫く「徹して一人一人を大切する」との精神には、このような視座に加えて、もう一つの欠くことのできない重要な柱があります。
 それは、これまでどのような人生を歩み、どんな境遇に置かれている人であっても、誰もが「自分の今いる場所を照らす存在」になることができるとの視座であり、確信です。
 目に映る「現れ(これまでの姿)」で人間の価値や可能性を判断するのではなく、人間に本来具わる「尊厳」を見つめるがゆえに、その輝きによって、今ここから踏み出す人生の歩みが希望で照らされることを、互いに信じ合う。
 そして、これまで味わった苦難や試練も人生の糧としながら、自分の幸福だけでなく、人々のため、社会のために「勇気の波動」を広げる生き方を、仏法は促しているのです。
 私どもの信奉する日蓮大聖人は、すべての人々に尊極の生命が具わり、限りない可能性を開花させることができるとの「一切衆生皆成仏道」の法理こそが、釈尊の説いた法華経の真髄であり、仏教全体の肝心であると強調しました。
 法華経では、釈尊とその弟子をはじめとする、多くの人々が織り成すドラマを通じて、この法理が説かれています。
 ――まず、釈尊の説いた教えを理解した弟子の舎利弗が、自分自身にも尊極の生命が具わっていることを心の底から実感し、「踊躍歓喜」する。
 続いて、他の四人の弟子も、その歓喜のままに誓いを立てた舎利弗の姿と釈尊の励ましを目の当たりにして、同じく歓喜し、無量の宝を「求めずして自ずから得た」喜びを表すべく、自分たちの言葉で釈尊の教えを長者窮子の譬え=注2=を通して語りだす。
 こうした誓いと歓喜のドラマが幾重にも続く中、多くの菩薩たちが、人々の幸福のためにどんな困難も乗り越えて行動する決意を、「ともに同じく声を発して」誓い合う。
 そして最後に、釈尊の滅後に、そうした実践を誰が担っていくのかが焦点となった時に、数え切れないほどの地涌の菩薩が現れ、いついかなる時代にあっても、どのような場所においても、行動を貫き通すことを誓願する――。
 そこで広がっているのは、釈尊の教えに触れて、尊極の生命に目覚めて歓喜した弟子たちが、他の人々にも等しく尊極の生命が具わっていることに気づき、自他共にその生命を輝かせ、社会を照らす光明になっていきたいと決意し、次々と誓いを立てていく、〝誓願のコーラス〟ともいうべき光景です。
 
竜女の成仏の姿が周囲に広げた波動
 なかでも特筆すべき場面の一つは、「私は、大乗の教え(法華経)を弘めて、苦しんでいる人たちを救っていきます」との誓いを立てた幼い少女(竜女)が、誓いのままに行動する姿をみて、多くの人々が「心大歓喜」(心の底からの大歓喜)をもって称えた場面でありましょう。
 その歓喜の渦が巻き起こる中で、数え切れないほどの人々が、自分にも尊極の生命が具わっていることを覚知していきました。
 つまり、当時の通念として、成仏に最も縁遠い存在として捉えられていた幼い少女が、自らの誓いのままに行動する姿を通して周囲に歓喜の波動を広げ、「一切衆生皆成仏道」の法理を証明する希望の存在となっていったのです。
 大聖人も、この法華経の場面を踏まえつつ、人生の苦難を乗り越えようとする女性たちに、「竜女が跡を継ぎ給うか」(御書1262㌻)などの言葉を贈りながら、励まし続けました。
 13世紀の日本にあって、相次ぐ災害に苦しむ民衆を救おうと、為政者を諫めた大聖人は、何度も迫害を受けました。そうした中、流罪の地で弟子たちへの手紙をしたためたり、遠路はるばる訪ねてきた信徒に対し、真心を尽くして激励を重ねられました。
 また、一つ一つの手紙を周りにいる仲間たちと寄り合って読みながら、皆で支え合い、苦難や試練を共に乗り越えていくよう、励まされていったのです。
 私どもSGIが、創価学会の草創期からの伝統としてきた、小単位のグループで開催する座談会にも、そうした「誓い」と「歓喜」と「励まし合い」の世界が息づいています。
 座談会に参加し、悩みがあるのは自分一人ではないと知り、苦難を乗り越えようと奮闘する友の姿に勇気をもらう。そして、決意を新たにした自分の姿が、さらに多くの友の心に力強い勇気を灯していく。
 この励まし、励まされる心と心の往還を通し、一人の誓いが次の一人の誓いへと伝播する中で、困難に直面してもくじけることのない「希望の力」を共にわき立たせていく生命触発の場が、座談会です。
 老若男女、社会的な立場や境遇の違いを問わず、同じ地域に暮らす人々が集まり、かけがえのない人生の物語や心の中に積もった思いに耳を傾け合いながら、共に誓いを深める座談会は、今や世界の多くの国々に広がっています。
 それはまた、世界を取り巻く脅威や危機が拡大し、複雑化する中で、ともすれば埋没し、蔑ろにされがちな〝一人一人の生の重みと限りない可能性〟を取り戻すために、SGIが社会的使命として実践してきた「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント」の基盤ともいうべき場にほかなりません。
 平和運動や国連を支援する活力も、そこから生まれているのであり、まさに信仰実践と社会的活動は地続きの関係にあります。
 私どもは、そうした往還作業を通し、「他人の不幸の上に自分の幸福を築かない」「一番苦しんだ人が、一番幸せになる権利がある」との誓いを共々に踏み固めながら、すべての人々の尊厳が輝く世界の建設を目指してきたのです。
 
貢献的生活を提唱した牧口初代会長 善いことをしないのは悪に通じる「応用の勇気」こそ教育の真価
 
「独立的生活」がもたらす危険性
 その挑戦を続けてきた私どもが、国連支援の活動において重視してきたのが、教育のアプローチであり、対話の実践です。
 まず、教育に関して言えば、二つの大きな役割に注目してきました。
 第一は、自分自身の行動がもたらす影響を正しく見定めながら、自分にも周囲にもプラスの変化を起こす力を磨く役割です。
 人間教育の先駆者だった創価学会牧口常三郎初代会長は、1930年に発刊し、SGIの源流ともなった『創価教育学体系』で、人間の生き方には大別して3段階あるとして、「依他的生活」や「独立的生活」から脱却し、「貢献的生活」に踏み出すことを呼び掛けました(『牧口常三郎全集』第5巻、第三文明社)。
 「依他的生活」とは、自分が持つ可能性をなかなか実感できず、目の前の状況をどうしようもないものとあきらめたり、周囲や社会の流れに合わせて生きていくほかないと考えてしまうような生き方です。
 また次の「独立的生活」は、自分の人生を舵取りしようとする意思は持ちあわせているものの、自分とは関わり合いのない人々へのまなざしは弱く、他人がどのような状況にあっても、基本的には本人の力で何とかすべきだと考えてしまう生き方といえましょう。
 牧口会長は、そうした生き方がはらむ問題を、次のようなわかりやすい譬えを通して、浮かび上がらせています。
 ――鉄道の線路に石を置く。これはいうまでもなく悪いことである。
 しかし、石を置いてあるのを知っていて、それを取り除かない、つまり善いことをしなかったら、列車が転覆してしまう。結果的には、善いことをしないことは悪いことをしたのと同じである――と。
 つまり、危険があることを知りつつも、自分に被害が及ばないからといって、そのまま放置しておくこと(不善)は、結果において悪と変わらないのであり、「悪行の罪だけは誰でも教えるが、不善の罪をとわないのは理由のないことであり、根本的な社会悪の解決策とはならない」と訴えたのです。
 なぜ〝何もしないこと〟が、悪と同義とまで言い切れるのか――。一見すると理解しがたいかもしれませんが、翻って自分が列車に乗っている身だと想像してみるならば、おのずと胸に去来する思いがあるのではないでしょうか。
 
世界市民意識」の涵養が持続可能な未来を築く礎
 
関係性の網の中で変革の波を起こす
 現代においても、「最大多数の最大幸福を追求する上で、多少の犠牲が生じるのはやむを得ない」といった考え方が、政治や経済をはじめ社会のさまざまな分野でみられます。
 しかし、気候変動の問題一つをとってみても明らかなように、今は自分たちに関係ないように思えても、長期的にみれば、リスクと無縁な場所など地球上のどこにもありません。
 むしろ、他の人々の苦境を半ば看過するような考え方の行き着く先は、人類の生存基盤を突き崩しかねないことに、目を向けるべきだと思うのです。
 自分本位の短期的利益の追求が優先される風潮に警鐘を鳴らしてきた、政治哲学者のマーサ・C・ヌスバウム博士も、世界市民意識の涵養を呼び掛ける中で、こう述べていました。
 「過去のどの時代にも増して、私たちの誰もが、一度も会ったことのない人々に依存し、彼らもまた私たちに依存しています」
 「このグローバルな相互依存の外にいる人は一人もいません」(『経済成長がすべてか?』小沢自然小野正嗣訳、岩波書店
 地球的な課題の解決を目指して行動する民衆の連帯の裾野を広げるためには、まずもって、そうした関係性への「想像力」を、教育によって培う必要があるのではないでしょうか。
 人間の歩むべき生き方として「貢献的生活」を挙げていた牧口会長は、「真の幸福は、社会の一員として公衆と苦楽を共するのでなければ得る能ざるもの」(前掲『牧口常三郎全集』第5巻)と訴えましたが、そうした意識を地球大へと広げながら生きていくことが、今日、ますます要請されていると思えてなりません。
 仏法では、この世のすべての存在や出来事は、分かちがたい〝関係性の網〟で結びついており、その相互連関を通じて瞬間瞬間、世界は形づくられているとも説かれています。
 その〝関係性の網〟の中で、自分という存在が生き、生かされていることの実感を、一つまた一つと深めていく中で、「自分だけの幸福もなく、他人だけの不幸もない」との地平が、一つ一つ開けてくる。
 そして、〝今ここにいる自分〟を基点とし、変革の波を起こす中で、自らが抱える課題のみならず、周囲や社会の状況をも好転させゆく「プラスの連鎖」を生み出していく――。
 こうした生命感覚を、自分と他者、自分と世界とのつながりを見つめ直すための座標軸の骨格としていくことを、仏法は呼び掛けているのであります。
 その意味からいえば、教育は、人間が他者の苦しみを前にした時に、〝胸の痛み〟を通じて浮かんでくる人生の座標軸の骨格に、一つ一つ肉付けをする上で、絶対に欠かせないものだといえましょう。
 例えば、環境問題や格差の問題にしても、教育による学びを通じて〝背景や原因を見つめるまなざし〟を磨いてこそ、問題に向き合う座標軸がより鮮明になり、揺るぎないものとなるのではないでしょうか。
 
自分だからこそできる価値創造
 この点に加えて、教育においてもう一つ重要となると思われるのは、困難に直面しても、くじけることなく行動する勇気を発揮していくための〝学び〟の場としての役割です。
 人類を取り巻くさまざまな課題は、貧困や災害といったように呼び名は同じでも、その具体的な様相は、問題が起きている場所や周囲の環境によって、それぞれ異なります。また、先に触れた気候変動のように、さまざまな脅威が引き起こす影響は、同じ地球に生きている以上、いつでもどこでも、誰の身にも及ぶ可能性があるものです。
 そこで必要となるのは、危機が深刻になる前に未然に防ぐとともに、被害に見舞われた場合でも、困難な状況をたくましく立て直していく知恵と行動――いうなれば「レジリエンス」の力を、それぞれの地域で日頃から強めていくことだといえましょう。
 牧口会長が教育の主眼として提起したのも、自分を取り巻く出来事の意味を見極め、能動的に応答する力を磨くことでした。
 教育で得た知識を最大限に生かすために、「応用の機会を見出す習慣」を養いながら、機会を捉えた時には逃さず行動につなげていく。そうした「応用の勇気」を一人一人が発揮することに、教育の目的があると呼び掛けたのです(前掲『牧口常三郎全集』第3巻)。
 そこで求められるのは、「先ず応用せらるべき場合の最も多く存在する方面を示して、此の点に注意を集めしめること」(同、現代表記に改めた)であり、正解のようなものを提示することではない。教育で培った〝問題と向き合う道筋を見いだす力〟を糧としながら、自分自身で問題解決の糸口をつかんでいく「応用の勇気」の発揮に焦点を置くべきと強調したのです。
 この自発能動の学びに基づく「応用の勇気」こそ、状況に押し流されず、自らが望む未来を切り開く原動力となるものです。
 例えば、国連が新目標を通して築こうとしている「持続可能な地球社会」にしても、具体的な有り様が最初から決まっているわけではないと思います。
 問題や脅威の現れ方が、それぞれの場所で違うように、方程式で導かれるような“共通解”は、もともと存在しません。
 持続可能性を追求する上で「経済と社会と環境のバランス」に留意するにしても、何か一つの“収束点”に向けて着地を果たすこと自体が、ゴールとなるわけではないはずです。
 近年、刻々と変化する現実に応答する「レジリエンス」の重要性が注目される中、持続可能性の追求が本来目指すべきは、「琥珀に閉じ込められた静止状態ではなく、健全なダイナミズムである」(アンドリュー・ゾッリ/アン・マリー・ヒーリー『レジリエンス 復活力』須川綾子訳、ダイヤモンド社)との主張がなされています。
 先に言及した仏法の〝関係性の網〟に基づく世界観に照らしてみても、深く共感できるものです。
 「持続可能な地球社会」の姿も、一人一人が〝かけがえのないもの〟に思いをはせ、それをいかにして守り抜き、未来につないでいけるのかについて、知恵を出し合い、行動を重ねる中で、具体的な輪郭を帯びて浮かび上がってくるものではないでしょうか。
 であればこそ、今この場にいる自分でなければ発することのできない言葉や行動が生み出す「価値創造」の意義が、いやまして輝いてくると思うのです。
 私は、応用の実行といった表現ではなく、あえて「応用の勇気」との言葉を用いた牧口会長の思いに、一人一人の存在の重みをどこまでも大切にする心と、どんな困難にも屈しない力が人間に具わっていることへの限りない期待を感じてなりません。
 
8億6000万の夢と変化を生む力
 その意味で私は、国連ウィメン(国連女性機関)が企画し、ニューヨークの国連本部で昨年2月に行われた公開討論会で、アフリカのジンバブエ出身の10代の女性が語った言葉に、強い共感を覚えました。
 「私たちは発展途上国で暮らす8億6000万人の若い女性・女児です。しかし、単に8億6000万という統計上の数字に留まるのではありません。私たちには8億6000万の夢があり、考えがあり、変化をもたらす力があるのです」(国連ウィメン日本協会のホームページ)
 彼女の言葉が示唆している通り、世界で今、脅威や危機が広がれば広がるほど、その問題の大きさを前に埋没しそうになっているのが、一人一人の生の重みであり、限りない可能性だといえましょう。
 それぞれの人間が紡いできた人生の物語や大切な夢をはじめ、心の中に積もった思いや、足元から変化を起こす力までもが、おしなべて見過ごされそうになっているのです。
 私どもSGIが、教育によるエンパワーメントを通じて目指してきたのは、そうした一つ一つの重みをかみしめ合い、互いの可能性を豊かに開花させながら、自分たちを取り巻く現実に力強く応答する力を磨き、鍛え上げていくことにほかなりません。
 なかでも、1982年にニューヨークの国連本部で開催した「核兵器――現代世界の脅威」展以来、地球的な課題の解決に向けての〝民衆発の活動〟の中軸に、私どもが据えてきたのが世界市民教育です。
 SGIでは今述べてきたような教育の二つの役割を踏まえ、さまざまな角度から世界市民教育を展開し、次の四つの柱からなるプロセスを進めていくことを目指してきました。
 
 ①自分を取り巻く社会の問題や世界が直面する課題の現状を知り、学ぶ。
 ②学びを通して培った、人生の座標軸と照らし合わせながら、日々の生き方を見直す。
 ③自分自身に具わる限りない可能性を引き出すためのエンパワーメント。
 ④自分たちが生活の足場としている地域において、具体的な行動に踏み出し、一人一人が主役となって時代変革の万波を起こすリーダーシップの発揮。
 今回、国連の新目標で「世界市民教育」の重要性が明記されたことを受け、SGIとしても、この四つのプロセスに重点を置いた活動に、さらに力を入れていきたいと思います。