第41回「SGIの日」記念提言「万人の尊厳 平和への大道」 (2016・1・26/27)㊥

苦しみ抱える人々の声に耳を傾け地球的課題の解決を!
 
仙台防災枠組で掲げられた原則
 こうした教育のアプローチと併せて、私どもSGIがすべての活動の基盤として重視してきたのが、対話の実践です。
 「誰も置き去りにしない」世界を築くために、まずもって対話は絶対に欠かせない――それは、私自身の信念でもあります。
 人類が直面する課題の解決といっても、その取り組みによって一番に守るべき存在は何か、それを誰がどのようにして守っていけば良いのかについて、常に問い直しながら進むことが大切ではないでしょうか。
 つまり、「厳しい状況に置かれている人々の目線」から出発し、解決の道筋を一緒に考えることが肝要であり、その足場となるのが対話だと思うのです。
 近年、災害や異常気象による深刻な被害が相次ぐ中、昨年3月、仙台で第3回「国連防災世界会議」が行われました。
 採択された仙台防災枠組=注3=では、2030年までに世界の被災者の数を大幅に削減するなどの目標が掲げられましたが、私が注目したのは、原則の一つとして「ビルド・バック・ベター」の重要性が強調されたことです。
 「ビルド・バック・ベター」とは、復興を進めるにあたって、災害に遭う前から地域が抱えていた課題にも光を当てて、その解決を視野に入れながら、皆にとって望ましい社会を共に目指す考え方です。
 防災対策として、独り暮らしの高齢者の家の耐震化を進めたとしても、それだけでは、その人が日々抱えてきた問題――例えば、病院通いや買い物にいつも難儀してきたような状況は取り残されてしまう。こうした被災前から存在する、見過ごすことのできない課題も含めて、復興のプロセスの中で解決を模索していく取り組みなのです。
 
「三重の楼《たかどの》」の話
 こうした復興の課題を考える時、思い起こすのが、次の仏教説話です。
 ――ある時、富豪が建てた三重の楼を見て、その高さや広さ、壮麗さに心を奪われ、同じような建物が欲しいと思った男がいた。
 自分の家に帰り、早速、大工を呼んで依頼すると、大工はまず基礎工事に取りかかり、一階、二階の工事に入った。
 なぜ大工がそんな工事をしているのか、理解できなかった男は、「私は、下の一階や二階は必要ない。三階の楼が欲しいのだ」と大工に迫った。
 大工はあきれて述べた。
 「それは、無理な相談です。どうして一階をつくらずに二階をつくれましょう。二階をつくらずに三階をつくれましょうか」と(「百喩経」)――。
 その意味で、復興の焦点も、街づくりの槌音を力強く響かせることだけにあるのではない。
 一人一人が感じる〝生きづらさ〟を見過ごすことなく、声を掛け合い、支え合いながら生きていけるよう、絆を強めることを基盤に置く必要があるのではないでしょうか。
 つまり、人道危機の対応や復興にあたって、「一人一人の尊厳」をすべての出発点に据えなければ、本当の意味で前に進むことはできないことを、私は強調したいのです。
 そこで重要となるのが、危機の影響や被害を最も深刻に受けてきた人たちの声に耳を傾けながら、一緒になって問題解決の糸口を見いだしていく対話ではないでしょうか。
 深刻な状況にあるほど、声を失ってしまうのが人道危機の現実であり、対話を通し、その声にならない思いと向き合いながら、「誰も置き去りにしない」ために何が必要となるのかを、一つ一つ浮かび上がらせていかねばなりません。
 何より、つらい経験を味わった人でなければ発揮できない力があります。
 「仙台防災枠組」では、市民や民間団体の役割として、知識や経験の提供などを挙げていますが、なかでも被災地から発信されたものには何ものにも替えがたい重みがあると思います。
 東日本大震災でも、自らが被災者でありながら周りの被災者を励まし、心の支えとなる行動を続け、復興の力強い担い手となってきた人は大勢いました。私どもは復興支援を続ける中でその意義をかみしめながら、防災をめぐる国際会議などで「被災者の声と力が復興を進める重要な鍵となる」と訴えてきたのです。
 同様に、国連の新目標の推進にあたっても、厳しい状況にある人たちの声に耳を傾けることが、各国や国際機関、またNGOなどが、自らの活動の方向性を見定め、さらに実りあるものにする上で外せない一点ではないかと思います。
 その意味で、新目標のとりまとめに尽力した、国連のアミーナ・モハメッド事務総長特別顧問が、国際社会の結束を強めるための要諦について語った次の言葉に深く共感します。
 「この問題は、私たちの人間性の居場所を見つけることにもつながります。課題や紛争が山積し、来る日も来る日も、良いニュースがほとんどないような世界へと迷い込む過程で、私たちが落としてきたものを再び拾い上げる、ということです」(国連広報センターのホームページ)
 対話とはまさに、その人間性を社会が取り戻すために、いつでもどこでも誰でも始めることのできる実践ではないでしょうか。
 
マータイ博士とイチジクの木
 次に、対話が果たすもう一つの大切な役割は、対立が深まる時代にあって、自分と他者、自分と世界との関係を結び直す契機となり、時代を変革するための新しい創造性を生み出す源泉となることです。
 21世紀の世界を規定する潮流は何といってもグローバル化ですが、多くの人々が生まれた国を離れ、仕事や教育などのために他国に一時的に移動したり、定住する状況はかつてない規模で広がっています。
 多くの国にさまざまな文化的背景を持つ人たちが移り住む中、交流の機会も芽生え始めています。
 しかし一方で、レイシズム(人種差別)や排他主義が各地で高まりをみせていることが懸念されます。
 昨年の提言で私は、各国で社会問題化しているヘイトスピーチ(差別扇動)に警鐘を鳴らしましたが、「どの集団に対するものであろうと、決して放置してはならない人権侵害である」との認識を国際社会で確立することが、焦眉の課題となっているのです。
 排他主義や扇動に押し流されない社会を築くには何が必要となるのか――。
 私は、「一対一の対話」を通して自分の意識から抜け落ちているものに気づくことが、重要な土台になっていくと考えます。
 仏法には「沙羅の四見」といって、同じ場所を見ても、その人の心の状態で映り方が違ってくることを説いた譬えがあります。
 例えば、一つの川を見ても、清流の美しさに感動する人や、どんな魚がいるのかと思う人もいれば、洪水を心配する人もいる。
 問題なのは、その違いが「映り方」の違いで終わらず、結果的に「風景そのもの」を変える可能性をはらんでいることです。
 そのことを物語る具体例として思い起こされるのは、私の大切な友人であったケニアの環境運動家のワンガリ・マータイ博士が、自伝の中で紹介していた話です。
 ――博士が生まれたケニアの村では、皆が「畏敬の念」をもって大切にしていたイチジクの木を中心に、自然が守られていた。
 しかし、アメリカへの留学を終えた博士が、ある時、故郷に立ち寄ると、信じられない光景が広がっていた。
 イチジクの木が立っていた土地を新たに手に入れた人が、「場所を取りすぎて邪魔だ」と考え、イチジクの木を切り倒し、茶畑にするためのスペースがつくられていたのです。
 その結果、風景が一変しただけでなく、「地滑りが頻繁に起こるようになり、きれいな飲み水の水源も乏しくなっていた」と(『UNBOWED へこたれない』小池百合子訳、小学館から引用・参照)。
 自分が限りなく大切にしてきたものが、他の人には邪魔としか映らない――。
 こうした認識の違いが引き起こす問題は、人間と人間、ひいては文化的背景や民族的背景が異なる集団同士の関係にも当てはまるのではないでしょうか。
 つまり、自分の意識にないことは、「自分の世界」から欠落してしまうという問題です。
 
対話による生命の触発が新たな創造の地平を開拓
 
ステレオタイプを打ち破るための鍵
 人間はともすれば、自分と近しい関係にある人々の思いは理解できても、互いの間に地理的な隔たりや文化的な隔たりがあると、心の中でも距離が生じてしまう傾向があります。
 しかもそれは、グローバル化が進むにつれて解消に向かうどころか、情報化社会の負の影響も相まって、レッテル貼りや偏見などが、むしろ増幅するような危険性さえみられます。
 その結果、同じ街に暮らしていても、自分と異なる人々とは、できるだけ関わり合いをもたないようにしたり、ステレオタイプ的な見方が先立って差別意識を拭いきれなかったりするなど、相手の姿を〝ありのままの人間〟として見ることのできる力が、社会で弱まってきている面があるのではないかと思われます。
 私は、こうした状況を打開する道は、迂遠のようでも、一対一の対話を通し、互いの人生の物語に耳を傾け合うことから始まるのではないかと訴えたい。
 昨年、国連難民高等弁務官事務所は「世界難民の日」に寄せて、難民となった人たちの物語を紹介するキャンペーンを行い、その物語に触れた人が周囲や友人にも知らせることを併せて呼び掛けました。
 そこで、難民となった人たちの名前と共に紹介されていたのは、「園芸家・母親・自然愛好家」や「学生・兄・詩人」など、国籍の違いに関係なく“身近に感じられる姿”を通して語られる人生の物語であり、今の境遇への思いです。
 たとえ一人の物語であったとしても“身近に感じられる姿”を通して接する経験を持つことができれば、ともすれば一括りに扱われがちな難民の人たちに対する意識も、次第に変わってくるはずです。
 私も以前、デンバー大学のベッド・ナンダ教授と対談した際、インド・パキスタン紛争の勃発(1947年)によって、当時12歳だった教授が、母親と一緒に故郷を逃れて何日も何日も歩き続けた話を、伺ったことがあります。
 後に国際法の道に進み、人権や難民問題の第一人者となった教授が、「あの体験が、私の人生に大きな影響を与えたことは間違いありません。生まれ故郷を離れなければならなかった悲しみは、終生忘れられません」(『インドの精神』、『池田大作全集』第115巻所収)と語った言葉は今も胸に残っています。
 異なる民族や宗教に対する認識も、難民の人々に対するまなざしと同じように、たとえ「一人」でも直接会って話すことができる関係を持てれば、そこから見えてくる“風景”も、おのずと変わってくるのではないでしょうか。その「一人」と胸襟を開いて対話を重ねる中で、意識から抜け落ちていたものが目に映るようになり、自分にとっての世界の姿が、より人間的な輝きを放つようになっていくと思うのです。
 
心の世界地図を友情で描き出す
 思い返せば、冷戦対立が激化した時代に、反対や批判を押し切ってソ連を初訪問した際(74年9月)、私の胸にあったのは、「ソ連が怖いのではない。ソ連を知らないことが怖いのだ」との信念でした。
 対立や緊張があるから、対話が不可能なのではない。相手を知らないままでいることが対立や緊張を深める。だからこそ自分から壁を破り、対話に踏み出すことが肝要であり、すべてはそこから始まる――。
 モスクワに到着した夜、「シベリアの美しい冬に、人びとが窓からもれる部屋の明かりに心の温かさ、人間の温かさを覚えるように、私どももまた、社会体制は違うとはいえ、人びとの心の灯を大切にしてまいることを、お約束します」と、歓迎宴であいさつしたのは、その偽らざる思いからだったのです。
 時を経て96年6月、キューバを初訪問した時も、思いは同じでした。
 キューバによるアメリカ民間機撃墜事件が起こった4カ月後のことでしたが、平和への意思で一致できれば、どんな重い壁も動かすことができるとの決意で、カストロ議長と率直に意見交換したのです。
 そして、国立ハバナ大学での記念講演で述べた「教育こそが、未来への希望の架橋である」との信念のままに、教育交流をはじめ、文化交流の道を広げる努力を続けてきました。
 それだけに昨年7月、アメリカとキューバが54年ぶりに国交正常化を果たしたことは、本当にうれしく感じてなりません。
 現代において切実に求められているのは、国家と国家の友好はもとより、民衆レベルで対話と交流を重ね、民族や宗教といった類型化では視界から消えてしまいがちな「一人一人の生の重みや豊かさ」を、自分の生命に包み込んでいくことではないでしょうか。
 その中で、一人一人が「心の中にある世界地図」を友情や共感をもって描き出していくことが、自分を取り巻く現実の世界の姿をも変えていくことにつながると訴えたいのです。
 私の師である戸田城聖第2代会長も、さまざまな問題を〝国や属する集団の違い〟の次元だけで捉えて行動することの危険性を、常々訴えていました。
 国が違っても、個人同士の関係からみれば、互いに文化的な生活を送ろうとする人が少なくないはずなのに、ひとたび国家と国家の関係になると、「表面が文化的であっても、その奥は実力行使がくりかえされている」(『戸田城聖全集』第1巻)状況に陥ってしまう、と。
 また、思想の違いが原因となり、「地球において、政治に、経済に、相争うものをつくりつつあることは、悲しむべき事実である」(同第3巻)と述べ、集団の論理のぶつかり合いが“同じ人間”という視座を見失わせる弊害に、警鐘を鳴らしていました。
 そして戸田会長は、どの国の民衆も切望してやまない平和を結束点に、「世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたい」(同)との思いを共有する、「地球民族主義」という人間性の連帯の構築を呼び掛けたのです。
 
創立20周年迎える戸田平和研究所
 その師の名を冠する形で、私が創立した戸田記念国際平和研究所が、「世界的諸宗教における平和創出の挑戦」をテーマにした国際会議を、来月、東京で開催します。
 キリスト教ユダヤ教イスラム、仏教など、異なる宗教的背景を持つ研究者や識者が集まり、宗教が本来持つ「人間の善性を薫発する力」に光を当てながら、暴力や憎悪ではなく、平和と人道の潮流を21世紀の世界で共に高めるための方途を探るものです。
 かつて「世界人権宣言」の起草に携わった哲学者のジャック・マリタンは、さまざまな思想の違いを超えて、人間の行動として外してはならない共通項を掘り当てる「良心の地質学」のアプローチの意義を強調しました(『人間と国家』久保正幡・稲垣良典訳、創文社)。
 来月11日に創立20周年を迎える戸田記念国際平和研究所が、「地球市民のための文明間の対話」をモットーに続けてきた活動は、その挑戦を現代で展開してきたものでもあります。
 人間の心を深部において揺り動かすものは、定式化された教条や主張などではなく、その人自身でなければ発することができない〝人生に裏打ちされた言葉の重み〟です。
 そうした言葉の交わし合いによってこそ、互いの生命の奥底にある「人間性の鉱脈」が掘り当てられ、社会の混迷の闇を打ち払う人間精神の光が輝きをさらに増していく。私もその確信で、さまざまな民族的、宗教的背景を持った人々と対話を重ねてきました。
 思うに、歩んできた道が異なる人間同士が向き合うからこそ、一人では見ることのできなかった新しい地平が開け、人格と人格との共鳴の中でしか奏でることのできない創造性も育まれるのではないか。
 そこに、歴史創造の「可能性の宝庫」となり、「最大の推進力」となりゆく、対話の意義があると思えてなりません。
 同じ場所で同じ時間を過ごしながら、対話によって培われた友情と信頼――。その堅実な挑戦の積み重ねこそが、世界平和の創出と地球的な課題の解決のために行動する「民衆の連帯」のかけがえのない礎となると、私は確信してやまないのです。
 
「世界人道サミット」の共同宣言で難民支援の国際協力を強化
 
 続いて、国連の新目標が目指す「誰も置き去りにしない」世界を築くために、各国と市民社会の連帯した行動が急務となる課題として、①人道と人権、②環境と防災、③軍縮核兵器禁止、の三つのテーマに関する提案を行いたい。
 
子どもの生命と権利を共に守る
 第一の柱は、人道と人権です。
 具体的には、5月にトルコで行われる「世界人道サミット」に関し、二つの提案をしたいと思います。
 一つ目は、深刻の度を増す難民問題について、サミットの場で「国際人権法に基づく対応を第一とすること」を確認した上で、特に難民の子どもたちの生命と権利を守るための対策を強化することを約し合うことです。
 難民の数が戦後最大規模に達する中、多くの受け入れ国の間で、社会不安の広がりや財政負担の増大、また、難民を装う形での入国によってテロ行為が引き起こされることなどへの懸念が生じています。
 こうした点を踏まえ、各国で何らかの対策を講じることが必要になってくるとしても、その対策は対策として、難民問題の対応の基盤は国際人権法の中核をなす「人間の生命と尊厳」の保護に置くことを再確認すべきだと思うのです。
 紛争によって、多くの人々が突然、住み慣れた場所を追われ、生きる希望を奪われた状態は、災害で家を失い、避難生活を余儀なくされた人々の窮状と変わらないものです。
 何より難民の半数以上を占める子どもたちは、なすすべもなく避難するほかなかった、紛争の最大の犠牲者にほかなりません。
 昨年は、紛争下の子どもたちの保護に関する国連安全保障理事会決議1612=注4=の採択から、10周年にあたりました。
 紛争によって子どもたちが暴力や搾取に巻き込まれる事態の防止はもとより、紛争から逃れるために避難を強いられてきた子どもたちを守ることが急務ではないでしょうか。
 この点、ユニセフ(国連児童基金)のアンソニー・レーク事務局長も、「すべての子どもは、あたりまえの子ども時代を平和に享受する権利をもっています」(日本ユニセフ協会のホームページ)と強調しています。
 国連の新目標でも、さまざまな脅威による深刻な影響を受ける存在として、子どもを筆頭に挙げており、この子どもたちの平和的に生きる権利の確保を“扇の要”として、難民への国際的な支援を強化すべきだと訴えたいのです。
 人道危機の解決といっても、子どもたちがつらい経験を乗り越え、未来への夢を抱いて前に進むことができるようになる中で、希望の曙光は輝き始めるのではないでしょうか。
 そうした子どもたちの笑顔はまた、故郷を離れて、新しい場所で生活を立て直そうとしている人々にとって、「生きる力」を取り戻す源泉となっていくに違いないと思うのです。
 
中東地域で進む受け入れ国支援
 次に、「世界人道サミット」に関する二つ目の提案として、国連が主導する中東地域での受け入れ国支援の強化と、アフリカやアジアなど他の地域でも同様のアプローチを重視することを合意に盛り込むよう、提唱したい。
 現在、世界全体の難民の9割近くが途上国で生活する状況となる中、水の確保や公共サービスの面で影響が出るなど、国際的な協力が得られなければ、受け入れを続けることが困難になってきている地域も少なくありません。
 難民条約の前文では、「難民に対する庇護の付与が特定の国にとって不当に重い負担となる可能性」への留意を促した上で、「問題についての満足すべき解決は国際協力なしには得ることができない」と記されていますが、この条約の原点に脈打つ国際協力の精神を今一度想起し、難民問題に臨むことが求められていると思うのです。
 私も昨年の提言で、難民となった人々へのエンパワーメント(内発的な力の開花)を進めるにあたって、受け入れ国の青年や女性も一緒に教育支援や就労支援を受けられるような仕組みを各国の協力で設けることを呼び掛けました。
 現在、この難民への支援と、受け入れ国への支援を組み合わせた国連主導の取り組みが、中東の5カ国で行われています。
 「シリア周辺地域・難民・回復計画」と呼ばれるもので、難民への人道支援と併せて、受け入れ国の社会的インフラの向上を図り、住民の生活や雇用を支援していく取り組みです。
 100万人以上のシリア難民が避難したトルコやレバノンをはじめ、多くの難民が身を寄せるヨルダン、イラク、エジプトの負担を国際協力によって軽減し、地域の安定に寄与することが目指されてきました。
 これまで食糧の確保や安全な飲み水の利用、保健に関する分野などで改善が進んでおり、先月には、今後の方針と具体的な目標が打ち出されました。
 私は、この国連主導の計画に関する討議をサミットで行い、課題や経験を共有しながら、資金面での協力を含め、今後の活動を軌道に乗せるために各国が連帯して行動することを、サミットの合意に盛り込むよう訴えたい。
 また、日本の取り組みとして、これまでシリアと周辺国への人道支援を続けてきた経験を生かしながら、今後は特に「子どもたちの未来を育むための支援」に大きな力を注ぐことを呼び掛けたいと思います。
 現在、トルコやレバノンなどでは、難民の子どもたちが学校や一時的な教育施設に通える状況も生まれていますが、大半の子どもは教育から取り残されたままとなっています。
 国連の計画では、さらに多くの難民の子どもが「学ぶ機会」を得られる環境づくりを目指しています。ユニセフと連携し、シリアや周辺国での教育支援を進めてきたEU(欧州連合)とともに、日本がその分野での貢献を果たしてほしいと願ってやみません。
 これに関連して、現在、日本のいくつかの大学が、国連難民高等弁務官事務所と協力して、難民となった若者たちに大学教育の機会を提供する「難民高等教育プログラム」を実施していますが、こうした若い世代への教育支援をあらゆる形で広げていくべきではないでしょうか。
 
排他主義に流されない人権文化の確立が急務
 
態度と行動を育む取り組みが焦点に
 市民社会の側からも、難民問題などの人道的課題に連帯して行動することが重要となってきており、SGIでは「すべての人々の尊厳を大切にする世界」を目指す観点から、特に人権教育の推進に力を入れていきたいと考えています。
 国連加盟国の合意として人権教育の国際基準を初めて定めた、「人権教育および研修に関する国連宣言」が採択されて、今年で5周年になります。
 難民と移民に対する偏見や蔑視をはじめ、人種差別や外国人嫌悪の動きが各国でみられる中、宣言の掲げる目的のうち、喫緊の課題になると思うのは次の二つの要素です。
 「自由で平和、多元的で誰も排除されない社会の責任ある一員として、人が成長するよう支援すること」
 「あらゆる形態の差別、人種主義、固定観念化や憎悪の扇動、それらの背景にある有害な態度や偏見との戦いに貢献すること」(阿久澤麻理子訳、アジア・太平洋人権情報センターのホームページ)
 ここで焦点となるのは、自分が差別をしないだけでなく、「誰も排除されない社会」を築くために、偏見や憎悪による人権侵害を許さない気風――すなわち、人権文化を社会に根づかせることにあります。
 この提言の前半で、教育の役割について論じた際、牧口初代会長が〝不善は悪に通じる〟と警鐘を鳴らしたことに言及しましたが、一人一人の行動が鍵を握る人権文化の建設には、そうした不善の意味に対する問い直しが強く求められるのではないでしょうか。
 国連の宣言では、人権に関する知識の習得や理解の深化にとどまらず、「態度と行動を育むこと」を明確に射程に入れているほか、人権教育と研修を「あらゆる年齢の人びとに関わる、生涯にわたるプロセス」と位置付けています。
 これはまさに、人権文化を豊かに花開かせるための要諦がどこにあるのかを、指し示したものにほかならないと思うのです。
 
SGIの新たな人権教育の展示
 起草段階から宣言の制定を、市民社会の立場から支援してきたSGIは、2011年12月の採択以来、映画「尊厳への道――人権教育の力」の共同制作や上映のほか、意識啓発の展示活動を行ってきました。
 また2013年には、アムネスティ・インターナショナル、人権教育アソシエイツなど他の団体とともに、「人権教育2020」という市民社会ネットワークを立ち上げました。
 国連の宣言や人権教育世界プログラムの推進を後押しする協力を深め合う中、「人権教育2020」では昨年、『人権教育の指標に関するフレームワーク』を出版し、各国での人権教育と研修の実践をより良いものにするためのガイドブックとして利用できるようになっています。
 SGIでは現在、「人権教育2020」に携わる他の団体とも協力し、宣言の採択5周年を期して、新たな人権教育展示を開催する準備を進めています。
 国連の新目標が掲げるさまざまなテーマを人権の角度から掘り下げつつ、「すべての人々の尊厳を大切にする世界」を築くための行動を誓い、共に強めていけるような展示を開催していきたいと思います。
 
温暖化防止の地域モデルを目指し「日中韓の環境誓約」制定を
 
世界195カ国がパリ協定に合意
 続いて、第二の柱として環境と防災に関する提案を行いたい。
 一つ目は、地球温暖化の要因である温室効果ガスの削減に関するものです。
 昨年11月から12月にかけて行われた国連気候変動枠組条約の第21回締約国会議で、温暖化防止の新たな合意となるパリ協定=注5=が採択されました。
 世界の平均気温の上昇を産業革命以前の時代から「2度未満」に抑えなければ、深刻な事態を避けることはできないとの懸念が広がる中、先進国のみならず、195カ国が〝共通の枠組みの下での行動〟を約束したことは、大きな意義があるといえましょう。
 目標達成の義務化は見送られたものの、各国がそれぞれ自主的に目標を定め、国内対策を実施することが義務付けられました。
 温暖化の防止は容易ならざる課題ではありますが、世界のほとんどの国の参加を得たことをパリ協定の最大の強みとしながら、各国が人類益に基づく積極的な貢献を果たす流れを協力してつくり出すことが重要ではないでしょうか。
 特に私は、異常気象による被害が相次いでいるアジア、なかんずく、世界の温室効果ガスの排出量の3割を占める、日本と中国と韓国の3カ国が連携し、意欲的な挑戦を先行して進めることを、提唱したいと思います。
 昨年11月、3年半ぶりとなる日中韓首脳会談が、韓国のソウルで開催されました。
 政治的な緊張を乗り越えての首脳会談の再開は、私も繰り返し訴えてきただけに、今回、首脳会談の定期開催を再確認したほか、日中韓の3カ国協力の完全回復が宣言されたことを、うれしく思っています。
 この3カ国協力の端緒となり、中核となってきたのが環境分野での協力です。
 「北東アジアは一つの環境共同体である」とは、3カ国の環境大臣会合で一致をみてきた認識であり、外交関係が悪化した時でも、環境協力をめぐる対話だけは毎年続けられてきた経緯があります。
 私は昨年の提言で、そのさらなる発展を願い、日中韓による「持続可能なモデル地域協定」を提案したところでした。
 大気汚染や黄砂といった、地域で焦点となっている課題とともに、温暖化防止のための地域協力を強めていくならば、パリ協定の目標達成に向けての重要な一つの足場となるに違いありません。
 具体的には、省エネルギーの分野をはじめ、再生可能エネルギーや3R(廃棄物の発生抑制、再使用、再資源化)の分野などで知識や経験を共有し、その相乗効果をもって3カ国が「低炭素社会」への移行をともに加速させていってはどうでしょうか。
 今年は日本で首脳会談の開催のほか、青年たちが北東アジアの平和や環境について話し合う「日中韓ユース・サミット」の開催が予定されています。
 そこで私は、パリ協定の目標となる2030年までの温暖化防止の協力に焦点を当てた「日中韓の環境誓約」の制定を、今年の首脳会談を機に目指していくことを呼び掛けたい。
 また、日本でのユース・サミットの開催を大成功に導きながら、3カ国の青年たちが創造的なアイデアと活動の経験を共有するための仕組みを設けることや、若い世代の発案による意欲的な活動と環境協力のための青年交流の支援を、3カ国の共同事業として立ち上げることを提案したいと思います。