小説「新・人間革命」 力走17 2016年4月13日

関西入りした二十九日、創価学園創立者である山本伸一は、学園の関係者から、関西創価小学校の建設などについて、深夜まで相談を受けた。
さらに、三十日には、大阪府交野市の創価女子学園(後の関西創価学園)に場所を移して、打ち合わせを続けた。
午後四時前、学園に松下電器産業(後のパナソニック)の相談役となっていた実業家の松下幸之助を迎えた。
教育に強い関心をもつ松下翁の希望もあり、学園での語らいとなったのである。
伸一は、松下翁が三日前に八十四歳の誕生日を迎えたことを祝福しながら、四時間近くにわたって、幅広く意見交換を行った。
松下翁を見送ったあと、伸一は学園を発って、車で三重研修道場へ移動した。
到着したのは午後十時過ぎであった。ここでも、中部の首脳の報告を聞きながら、今後の活動について協議した。
そして、翌十二月一日の午後三時過ぎ、三重県名張市へ向かった。
名張市は奈良との県境に位置し、研修道場から車で一時間ほどのところにあった。
大阪や奈良のベッドタウンとして発展してきた地域である。
伸一が、三重県のなかで、まだ行っていない地域への訪問を強く希望したことから、名張で地元幹部らと、協議会を開催することが決まったのである。
この日の朝、彼は、道場内を散策しながら、三重県長の富坂良史に尋ねた。
「今日、伺うことになっている名張方面で、私が家庭訪問すべきお宅はありませんか」
価値創造は時間の有効な活用から始まる。
「ぜひ、先生に激励をお願いしたい方がおります。
以前、先生にご指導していただき、失明の危機を見事に乗り越えた、名張本部の本部長をしている高丘秀一郎さんです」
「ああ、立川文化会館で激励し、今年の春に三重研修道場でお会いした方だね。
元気になってよかった。嬉しいね。お訪ねしよう」
懸命に励ました人が、悩みを克服できた報告を聞くことに勝る喜びはない。