小説「新・人間革命」 力走35 2016年年5月4日
一九七七年(昭和五十二年)七月、高知の同志の念願であった高知文化会館(後の高知平和会館)が高知市内に完成した。
そして、島寺からは、再三にわたって山本伸一に、高知訪問の要請が寄せられていた。
伸一は、新しい県長・婦人部長を支え、共に戦ってくれた功労の同志に、御礼を言いたかった。
高知でも、会員を学会から離反させて、寺の檀徒にするため、宗門僧らによる学会への陰湿な誹謗・中傷が繰り返されてきた。
そうしたなかで、歯を食いしばって創価の正義を叫び抜き、学会員を守り抜いてきた人たちを讃え、励ましたかったのである。
伸一の一行が高知文化会館に着いたのは午後五時半で、辺りは夜の帳に包まれていた。
この夜、伸一が真っ先に出席したのは、草創からの功労者の代表百五十人との懇談会であった。懐かしい多くの顔があった。
風雪に耐えて、広宣流布の険路を勝ち越えてきた勇者たちの頭髪は、既に薄くなり、また白いものが目立ち、額には幾重にも皺が刻まれていた。
しかし、その瞳は、歓喜と求道と闘魂に燃え輝いていた。
「わが姿たとえ翁と見ゆるとも心はいつも花の真盛り」(注)とは、高知が生んだ日本植物学の父・牧野富太郎の言葉である。
伸一は、高知を訪問できた喜びを語り、皆を抱きかかえる思いで訴えた。
「“戸籍の年齢”と“生命の年齢”とは違います。気持ちが若ければ、“生命の年齢”は青年です。永遠なる楽しき広布旅です。
小説『新・人間革命』の引用文献