2016-05-09から1日間の記事一覧
創価学会名誉会長 池田大作 地涌の若人と常勝歓喜の舞を! いかなる試練(しれん)の時代、いかなる苦難(くなん)の社会にも、生命尊厳の希望の哲理(てつり)を掲(かかげ)げ、正義のため、民衆のため、平和のため、喜(よろこ)び勇(いさ)んで戦おうで…
南無妙法蓮華経と高声によばはりて二十余年をふる間(あいだ)・或(あるい)は罵(の)られ打たれ或は疵(きず)をかうほり或は流罪に二度死罪に一度定(さだ)められぬ、其(そ)の外の大難数をしらず (妙密上人御消息(みょうみつしょうにんごしょうそ…
何(いか)なる世の乱れにも各各(おのおの)をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出(いだ)し乾ける土より水を儲(もう)けんが如く強盛に申すなり (呵責謗法滅罪抄(かしゃくほうぼうめつざいしょう)、1132ページ) (通解) どのように世…
只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり是を信受すべし(聖愚問答抄、497ページ) (通解) ただ南無妙法蓮華経とだけでも唱えるならば、滅しない罪があろうか。訪れてこない幸福があろうか。このこと…
法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし (千日尼御前御返事、1316ページ) (通解) 法華経の師子王を持つ女性は、一切の地獄、餓鬼、畜生などの百獣に恐れることはない。 同志への指針 4・11「ヤング・ミセスの日」…
高知支部結成二十二周年記念幹部会は、午後一時半過ぎから始まった。 山本伸一は、高知県創価学会の興隆と同志の幸福を祈念して厳粛に勤行したあと、皆で万歳を三唱しようと提案した。 宗門の僧らによる卑劣な仕打ちに耐え抜いた大切な同志の敢闘を、心から…
懇談会で山本伸一は、参加者の近況に耳を傾け、ピアノを弾いて励まし、記念のカメラに納まった。 その夜、彼は、高知の県幹部らに語った。 「私は全力で働きます。一人でも多くの高知の同志にお会いするつもりです」 翌十二月五日は、前日とは打って変わり、…
一九七七年(昭和五十二年)七月、高知の同志の念願であった高知文化会館(後の高知平和会館)が高知市内に完成した。 さらに、同年十二月には、高知研修 道場(後の土佐清水会館)が土佐清水市にオープンした。 このころには、高知県創価学会は大きな前進の…
島寺義憲の高知県長就任と同時に、県婦人部長にも、三十代の斉木藤子が就いた。 若い中心者二人が、高知広布の車軸となって前進していくことになったのである。 島寺は、地道に県内を回った。 村八分のなかで、敢然と信心を貫き、地域の大多数の人びとを学会…
高知は近代日本へ歴史回天の大波を起こした人材の天地である。 また、広宣流布の歴史にあっても、高知には、根深い旧習のなか、来る日も来る日も、折伏・弘教に歩き、茨の道を切り開いてきた、“魁光る”民衆革命の軌跡がある。 島寺義憲は、学生時代に高知を…
本部職員の島寺義憲が、高知県長として派遣されたのは、二年前の十二月であった。 彼は、東京の日本橋で生まれ育ち、三十五歳にして初めて暮らす異郷の地が高知であった。 県長の任命を受けた時、彼は、なんの逡巡も迷いもなかった。 “広宣流布のためなら、…