小説「新・人間革命」 力走39 2016年年5月10日

樫木幸子は、自宅を会場として提供した。彼女の家がある高知県西部の窪川町(後の四万十町の一部)は、高知と、土佐清水、宿毛のほぼ中間に位置し、比較的、皆が集いやすい場所であった。
といっても、土佐清水からでも、列車を乗り継いで四時間ほどかかる。
草創期のことであり、車を持っている人など、誰もいなかった。終列車に間に合わず、樫木宅に泊めてもらい、翌朝、帰っていく人も少なくなかった。
彼女は、そうした人たちを大切にした。
樫木の家は、皆から樫木ホテルと呼ばれるようになった。
歯科医師として働き、学会活動に取り組む幸子を陰で支えてくれたのは、母親の藤であった。
藤もまた弘教に情熱を燃やし、学会員のバイクの後ろに乗せてもらっては、あの地へ、この地へと友のために走った。
山本伸一は、高知文化会館の屋上での茶会で、幸子に言った。
「よく頑張ってきましたね。あなたのことを、地域の同志は誇りに思っていますよ。
あなたが頑張ってこられたのは、お母さんが守り、支えてくださっているからです。
どうか、お母さんを大事にしてください。人間は、一人では生きていけません。
常に誰かの力を借りているものなんです。そのことを忘れずに、周囲の人に感謝の思いをもって接していくのが、仏法者の生き方です。
同様に、会員の皆さんを激励する際にも、その方を応援し、協力してくれているご家族に、御礼、感謝の言葉をかけるんです」
それから、和服姿の藤に視線を向けた。
「おばあちゃん、ありがとう。着物がよくお似合いですよ。
ご一家でいちばん偉いのは、娘さんやお孫さんを守り、窪川の発展を支えてこられた、おばあちゃんです。
まさに樫木家の会長です。うんと長生きしてください」
伸一は、樫木家の繁栄を祈りつつ、家族と一緒に記念のカメラに納まった。
人への感謝と配慮は、心の結合をもたらし、それが新しい前進の活力となっていく。