〈随筆 永遠なれ創価の大城 10〉 被爆七十一年に誓う

 
〈随筆 永遠なれ創価の大城 10〉 被爆七十一年に誓う
2016年8月11日
平和の一歩を今日も共々に!
生命尊厳の若き旗手を世界が待望
 
この地から平和の誓いを世界へ。「原爆ドーム」が戦争の惨禍を訴え続ける(被爆40年の1985年10月、広島で池田SGI会長撮影)
 
      
いずこの地を訪れても、私が祈りを込めて拝してきた御聖訓がある。
「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」(御書一五七八ページ)との一節である。
たとえ今、どんな苦境にあろうと、妙法を受持した創価の友が献身する国土が、平和に勝ち栄えていかないわけがない。草創以来、この確信で同志を励まし続けてきた。
一九六六年三月、ブラジルのリオデジャネイロを初めて訪問した折には、軍事政権下にあって、わが友は険悪な敵意と圧迫に晒されていた。
しかし、歯を食いしばって、自行化他の題目を唱え抜き、良き市民として、大誠実の貢献を貫き通してくれたのである。
半世紀の歳月を経て、リオの創価スクラムは“南米の常勝関西”と仰がれる大発展を果たした。社会に広がる信頼も絶大である。
この愛するリオの天地で、「平和の祭典」オリンピックが開催中である。
オリンピックの憲章には、「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し」と謳われる。
戦争の悲惨を経験してきた民衆の平和への願いが託されているのだ。
人間生命の無限の可能性を鮮烈に示しながら、人類融合の先進地・ブラジルでの祭典が大成功し、地球民族の連帯が一段と深まりゆくことを、私たちは祈りたい。
原爆許すまじ!
創立の父・牧口常三郎先生は、獄中での尋問で「立正安国論」を引かれつつ、戦争の元凶について「謗法国である処から起きて居る」と鋭く喝破された。
社会に生命尊厳の深い哲理がないゆえと、断じられたのだ。
師と共に入獄した不二の弟子・戸田城聖先生は独房で法華経を身読し、「仏とは生命なり」「われ地涌の菩薩なり」と覚知された。
戸田先生は“地上から悲惨をなくすことこそ、信念の殉教を遂げた師の仇討ちだ。
世界戦争を二度と起こさせない”と、敗戦の焦土に一人立たれた。そして地涌の菩薩を民衆の大地より呼び出していかれたのだ。
六十年前、私が「大阪の戦い」に突進していた渦中の六月、先生は福岡県を訪れ、八幡市(現・北九州市)で叫ばれた。
「原爆を使う人間は最大の悪人だ!」
さらに福岡市でも核使用を弾劾し、「二度と同じ愚を繰り返すな!」と強く訴えられている。
福岡県の小倉市(現・北九州市)は原爆投下の第一目標であった。
八月九日、原爆を搭載した米軍機は、小倉上空の視界が悪く、第二目標の長崎に向かったのである。
九州の大地を踏んで、長崎の悲劇に思いを馳せ、戸田先生の胸には、原爆許すま
じの憤怒が燃え盛っていた。
この正義の師子吼が、翌一九五七年の九月、横浜・三ツ沢の競技場における「原水爆禁止宣言」の原型となったのだ。
この「宣言」の要点を書き留めた戸田先生の手帳の「十一月二十二日」の予定欄には、「広島行」とあった。
平和記念館──現在の広島平和記念資料館(東館)で行われる、わが同志の大会への出席を決めておられた。
何としても、自ら被爆の地に赴き、恒久平和を目指す地涌の闘士たちを励ましたいとの固い一念であったのだ。
されど、先生のご体調を案じ、私は広島行きをお止めせざるを得なかった。
なればこそ、広島、長崎の友と手を携えて核兵器の廃絶に邁進することは、分身の弟子としての生涯にわたる天命であると、心に定めてきた。
祈り込めた植樹
広島平和記念公園に、「SGI世界平和の樹」と名付けられたクスノキがある。
一九九五年、「世界青年平和文化祭」で広島を訪れた五十五カ国・地域のSGIメンバーが植樹したものだ。
この植樹の淵源は、その十九年前、広島の高等部がまとめた反戦文集が出版されたことに遡る。
被爆体験の聞書の編纂に携わり、高等部員らは平和への誓いを深めた。
その原稿料の寄付を広島市に相談する中で、植樹の話が持ち上がり、皆でヒマラヤ杉を購入。
平和記念公園での植樹が実現したのだ。市の担当者も“皆さんの反戦平和への熱意は、必ず共感を呼ぶでしょう”と称えた。
その後、ヒマラヤ杉は枯れてしまうが、後継のリーダーに成長した若人たちは、被爆五十年に開催する平和文化祭に寄せて、ぜひ核廃絶と平和への祈りを込めた植樹を──との思いで、再び広島市に掛け合った。
青年の情熱が、SGIの友によるクスノキの植樹と結実したのである。
つい先日も、広島に長崎と沖縄の若人も一堂に会し、「青年不戦サミット」が開催された。
創価の若き平和の人材たちは、年々歳々、たくましき“大樹”と育ち、揺るぎない
連帯の“森”を広げてくれている。
 
悲願を受け継ぎ
本年四月、日本・アメリカ・ロシア三カ国の高校生による、核兵器廃絶問題に関する国際会議が米カリフォルニア州で開かれ、東西の創価高校の俊英四人も出席した。
席上、わが学園生は、有識者も見守る中、核戦争を回避するには、核兵器を「必要悪」ではなく、非人道兵器として「絶対悪」とする価値転換が重要だと力説。
そして「他人の不幸のうえに自分の幸福を築かない」との信条を示し、人間の善性を信じ抜く「対話」の大切さを堂々と訴えたのだ。
東西の創価高校では、平和や環境などを深く学ぶため、フィールドワーク(現地調査)も行っている。
広島を訪れた関西校の生徒は「原爆の日」の平和式典に参列し、核廃絶への思いを強くした。沖縄を訪問中の東京校の生徒たちも、平和への決意を新たにしている。
凜々しき若人の姿は、未来から勇気と希望の風を運んでくれるようだ。
 
本年五月、オバマ米大統領の広島訪問は、核廃絶へ一条の光を投じた。その日は、ある広島の婦人にとっても、「亡き母に伝えたい日」となった。
婦人の母は爆心地から八百メートルで被爆した。目の前で妹を亡くし、その後、両親も原爆症で失った。
母自身も放射能を浴び、市内の病院を七軒も渡り歩き、命懸けで娘を産んだ。
わが子の前では気丈な様子でも、毎年八月六日になると、身を震わせて泣かれていたという。
晩年はがんと闘いながら、平和の語り部として、修学旅行生に原爆の残酷さを訴え、四年前、命の灯が消えゆく瞬間まで、平和を叫び抜かれた。
この母の人生を無駄にしてなるものかと、婦人は「核兵器なき世界」へ、仏法に学んだ生命尊厳の信念を語り続ける。
日蓮大聖人は、「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(御書九八六ページ)と仰せである。
今日という一日、妙法と共に、同志と共に、生きる喜びに燃えて広布に走ることが、母娘一体の偉大な平和闘争なのだ。
 
広島に縁が深く、私も対談した思想家カズンズ博士は「戦争は人間の心の発明したものである。その人間の心は平和を発明することもできる」と指摘されていた。
今、平和創造の心をいやまして強く! 父母たちの悲願を、創価後継の若き世代が厳然と受け継いでくれている。
この夏も、未来部の研修会やファミリー大会が活発だ。男女の青年部、学生部は、
教学試験に向け、行学錬磨の汗を流す。
世界の友も熱い求道心に燃えている。欧州ではイタリアに三十一カ国の友が集った伝統の教学研修会で、「立正安国」の法理を研鑽した。また、インドからは代表二百人が来日し、仏法の人間主義の拡大を誓い合った。
「生命尊厳」を掲げる若き旗手の英知と勇気がある限り、平和の連帯は広がる。
核兵器なき世界、戦争なき地球の明日へ、断固と進むのだ。
 
人間革命の挑戦
一九九三年八月六日、師との思い出を刻む長野の天地で、私は『新・人間革命』を書き始めた。
「平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない」と。
以来、二十三年──。今も日々、世界中の後継の友と、心で対話する思いで執筆を重ねている。
お陰様で、次の章で第二十九巻が終了となる。「清新」に続く章は「源流」と題して綴っていく予定である。
ともあれ、一人の声に耳を傾け、一人の友を励まし、一対一の対話を広げる。この最も地道な菩薩道こそ、新たな平和の潮流を起こす第一歩だ。
我らの人間革命の前進が、戦争と決別し、生命尊厳の世紀を開く確かな光明だ。
この大情熱で、「地涌の陣列」即「平和の陣列」を幾重にも拡大していこうではないか!
     
 師弟して
  人間革命
   挑みゆく
  我らの一歩が
    平和の光と
 
 (随時、掲載いたします)
 オリンピック憲章は日本オリンピック委員会訳。カズンズの言葉は『人間の選択』松田銑訳(角川書店)。