小説「新・人間革命」 清新52 2016年年8月15日

一九七九年(昭和五十四年)当時、世界は東西冷戦の暗雲に覆われていた。
そして、その雲の下には、大国の圧力によって封じ込められてはいたが、民族、宗教の対立の火種があった。
東西の対立は終わらせねばならない。
だが、そのあとに、民族・宗教間の対立が一挙に火を噴き、人類の前途に立ちふさがる、平和への新たな難問となりかねないことを、山本伸一は憂慮していた。
その解決のためには、民族・宗教・文明間に、国家・政治レベルだけでなく、幾重にも対話の橋を架けることだと、彼は思った。
戸田城聖が第二代会長であった五六年(同三十一年)、ハンガリーソ連が軍事介入し、親ソ政権を打ち立てたハンガリー事件が起こった。
東西両陣営の緊張を背景にした事件である。
この時、戸田は、一日も早く、地上からこうした悲惨事のない世界をつくりたいと念願し、筆を執った。
「民主主義にもせよ、共産主義にもせよ、相争うために考えられたものではないと吾人は断言する。
しかるに、この二つの思想が、地球において、政治に、経済に、相争うものをつくりつつあることは、悲しむべき事実である」(注1)
人間の幸せのために生まれた思想と思想とが、なぜ争いを生むのか──その矛盾に、戸田は真っ向から切り込んでいった。
「ここに、釈迦の存在とキリストの存在とマホメットムハンマド)の存在とを考えてみるとき、またこれ、相争うべきものではないはずである。
もし、これらの聖者が一堂に会するとすれば、またその会見に、マルクスも、あるいはリカードもともに加わったとするならば、いや、カントも天台大師も加わって大会議を開いたとすれば、けっしてこんなまちがった協議をしないであろう」(注2)
彼は、相争う現実を生んだ要因について、思想・宗教の創始者という「大先輩の意見を正しく受け入れられないために、利己心と嫉妬と、怒りにかられつつ、大衆をまちがわせているのではなかろうか」(注3)と述べる。
 
小説『新・人間革命』語句の解説
◎キリストなど/キリスト(紀元前四年頃~紀元後三〇年頃)は、キリスト教創始者エスのこと。
マホメット(五七〇年頃~六三二年)は、イスラム教の開祖。アラビア語名をムハンマドという。
マルクス(一八一八~八三年)は、ドイツの経済学者・思想家で科学的社会主義創始者。「資本論」を著した。
リカード(一七七二~一八二三年)は、イギリスの経済学者。労働価値説などを展開した、古典学派の代表者。
カント(一七二四~一八〇四年)は、ドイツの哲学者。批判哲学を提唱した。
天台大師(五三八~五九七年)は、中国天台宗の実質的な開祖。法華経の理の一念三千を明かした。
 
引用文献
注1、2、3 「仏法で民衆を救済」(『戸田城聖全集3』所収)聖教新聞社