小説「新・人間革命」 清新53 2016年年8月16日

人間は──誰もが等しく、尊厳なる、かけがえのない存在である。
誰もが等しく、幸福になる権利がある。
誰もが等しく、平和に暮らす権利がある。
本来、いかなる者も、人の幸福と平和を奪うことなどできない。
これは、一切衆生が仏の生命を具えていることを説く、仏法の法理から導き出された帰結であるが、人間の救済をめざす一切の思想・宗教の立脚点にほかなるまい。
戸田城聖が語ったように、キリストやムハンマドなど、世の賢聖たちは、宗教的・思想的信条の違いはあっても、人間の幸福こそ根本目的であるということには瞬時に合意しよう。
そして、ここを起点として対話を重ね、複雑に絡み合った偏見、差別、反目、憎悪の歴史の糸をほぐし、共存共栄の平和図を描き上げていくにちがいない。
人類の幸福と平和のために宗教者に求められることは、教えの違いはあっても、それぞれの出発点となった救済の心に対して、互いに敬意を払い、人類のかかえる諸問題への取り組みを開始することであろう。
ましてや、日蓮仏法が基盤とする法華経は、万人が仏の生命を具えた、尊厳無比なる存在であると説く。
ゆえに、いかなる宗教の人をも、尊敬をもって接していくのが、その教えを奉ずる私たちの生き方である。
この地球上には、思想・宗教、国家、民族等々、さまざまな面で異なる人間同士が住んでいる。
その差異にこだわって、人を分断、差別、排斥していく思想、生き方こそが、争いを生み、平和を破壊し、人類を不幸にする元凶であり、まさに魔性の発想といえよう。
戸田が提唱した、人間は同じ地球民族であるとの「地球民族主義」の主張は、その魔性に抗する、人類結合の思想にほかならない。
宗教者が返るべきは、あらゆる差異を払った「人間」「生命」という原点であり、この普遍の共通項に立脚した対話こそ、迂遠のようであるが、相互不信から相互理解へ、分断から結合へ、反目から友情へと大きく舵を切る平和創造の力となる。