小説「新・人間革命」 清新54 2016年年8月17日
人類は、往々にして紛糾する事態の解決策を武力に求めてきた。それが最も手っ取り早く有効な方法と考えられてきたからだ。
しかし、武力の行使は、事態をますます泥沼化させ、怨念と憎悪を募らせたにすぎず、なんら問題の解決にはなり得なかった。
一方、対話による戦争状態の打開や差別の撤廃は、人間の心を感化していく内的な生命変革の作業である。
したがって、それは漸進的であり、忍耐、根気強さが求められる。
ひとたび紛争や戦争が起こり、報復が繰り返され、凄惨な殺戮が恒常化すると、ともすれば、対話によって平和の道を開いていくことに無力さを感じ、あきらめと絶望を覚えてしまいがちである。
実は、そこに平和への最大の関門がある。
仏法の眼から見た時、その絶望の深淵に横たわっているのは、人間に宿る仏性を信じ切ることのできない根本的な生命の迷い、すなわち元品の無明にほかならない。
世界の恒久平和の実現とは、見方を変えれば、人間の無明との対決である。
つまり、究極的には人間を信じられるかどうかにかかっており、「信」か「不信」かの生命の対決といってよい。
そこに、私たち仏法者の、平和建設への大きな使命があることを知らねばならな。
そのなかで強く実感したことは、宗教、イデオロギー、国家、民族は違っても、皆が等しく平和を希求しているという事実であり、同じ人間であるとの座標軸が定まれば、平和という図表を描くことは、決して不可能ではないということだ。