小説「新・人間革命」源流 1 2016年9月1日

離陸した搭乗機が雲を突き抜けると、美しい青空が広がり、まばゆい太陽の光を浴びて雲海が白銀に輝いていた。
山本伸一を団長とする創価学会訪印団一行は、一九七九年(昭和五十四年)の二月三日午前十一時、九州の同志らに見送られて鹿児島空港を発ち、最初の訪問地である香港へと向かった。
伸一は、窓に目をやりながら、隣に座った妻の峯子に語った。
「曇りの日には、地上から空を見上げても、太陽は見えない。
そして、何日も何日も、雨や雪が降り、暗雲に覆われていると、いつまでも、こんな日ばかりが続くような思いがし、心も暗くなってしまいがちだ。
しかし、雲の上には、いつも太陽が燦々と輝いている。境涯を高め、雲を突き破っていくならば、人生は常に太陽と共にある。
また、たとえ、嵐のなかを進むような日々であっても、心に太陽をいだいて生きることができるのが信心だ。
私は、こうして機上で太陽を仰ぐたびに、戸田先生が詠まれた『雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん』との和歌が思い起こされるんだ。
アジアの民衆は、垂れ込める雲の下で、月の光を見たい、幸せになりたいと渇仰している。
先生は、その人びとに、平和と幸福の光源である日蓮大聖人の仏法、すなわち太陽の光を送ろうと決意をされた。
この歌には、先生の東洋広布への熱い情熱と信念と慈愛が感じられ、身の引き締まる思いがするんだよ」
峯子は、頷きながら笑顔を向けて言った。
「その戸田先生のお心を少しでも実現できる、今回のインド訪問にしたいですね」
「そうだね。インドにも広布に進む同志が誕生した。先生は喜んでくださるだろう」
恩師を思うと、二人の語らいは弾んだ。心は燃えた。勇気が湧いた。
伸一は、戸田を偲びつつ、本格的な世界広布のために、いよいよ盤石な土台を築かねばならないと、固く心に期していた。