【第2回】 祈りのかなはぬ事はあるべからず (2016.9.21)
何があっても唱題から出発
歴史学者のトインビー博士は晩年(ばんねん)も毎朝、決まった時間に、その時の気分にかかわらず机に向かって研究を始められた。
学問も、芸術も、スポーツも、一流の次元には、たゆまぬ価値創造(かちそうぞう)のためのリズムがある。
私たちは日々、勤行・唱題で、大宇宙の究極(きゅうきょく)の法則(ほうそく)に合致(がっち)し、無限の生命力を涌現(ゆげん)できる。
時間のない場合もあろう。しかし、心を込めて題目三唱すれば、勇気と智慧(ちえ)が涌(わ)いてくる。
一遍(いっぺん)の題目にも、無量無辺(むりょうむへん)の功徳があると説かれている。
ともあれ、何があっても唱題から出発だ。ごこにこそ、万人に聞かれた、最(もっと)も確実なる人生勝利のリズムがあるからだ。
「広布のために」との一念で
御書には「法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(1352ページ)と仰せである。
法華経の行者として、広布大願に生きる青年の祈りほど、強いものはない。それは必ず成就(じょうじゅ)する。いな、成就するまで、祈り抜き、戦い切るのだ。決定(けつじょう)した一念(いちねん)が、諸天(しょてん)をも動かす。
この確倍と努力と執念(しゅうねん)こそが、学会精神なのである。
なかんずく、同志と共に「異体同心(いたいどうしん)」の団結で唱えゆく題目の力は計(はか)り知れない。
戸田先生は教えられた。
「広布のためにと、はじけるような題目をあげよ!」と。
誓願の祈りで、今日も、わが人間革命の劇(げき)を飾(かざ)リゆけ!