【第35回】 生涯不退の信心を (2016.10.6)

秋のいねには早と中と晩との三のいね有れども一年が内に収むるが如く、此れも上中下の差別ある人なれども同じく一生の内に諸仏如来と一体不二に思い合せてあるべき事なり(十如是事、411ページ)
 
(通解)
秋の稲には早稲と中稲と晩稲と三種の稲があっても、いずれも一年のうちに収穫できる。
同じように、この仏法において、衆生の機根に上根・中根・下根の違いがあっても、皆、同じく一生のうちに、諸仏如来と一体不二となる(成仏できる)と思い合わせていくべきである。
 
同志への指針
全ての人が平等に、この一生のうちに最高の幸福境涯を開くことができる。これが日蓮仏法である。
嵐の日も秋霜の日もある。しかし、丹精込めた稲が試練を越えて黄金の実りを迎えるように、我らには必ずや生命の凱歌を轟かせる時が到来するのだ。
不退の信心あらば、人生勝利の栄冠は燦然と輝く。ここに大歓喜の一生成仏がある。